3月16日は、映画監督ベルトルッチの誕生日(1941年)だが、露国の作家、マクシム・ゴーリキーが生まれた日でもある。
マクシム・ゴーリキー(本名、アレクセイ・マクシーモヴィチ・ペシコフ)は、1868年3月16日に、ロシア、現在のゴーリキー市で生まれた(ユリウス暦による。グレゴリオ暦だと日が異なる)。父親は家具職人で、3歳の息子マクシムがコレラにかかったのに感染し没した。その後、母親が彼をおいて家を出ていき、頼っていた母方の家が破産し、あるいは彼自身が病気がちだったこともあって、マクシムは子ども時代から苦労して育った。
10歳のころからゴーリキーは、くず拾い、靴屋の小僧、汽船の厨房の皿洗い、パン焼き職人などさまざまな職業を転々とした。文学青年だった彼は、十九歳の時、孤独と失恋の痛手から拳銃自殺をはかった。たまたま通りかかった人の通報で病院へ運ばれ、弾丸摘出の手術を受けて、自殺は未遂に終わっている。
20歳のころから、民衆のなかへ入ってそこから革命を起こそうというヴ・ナロードの動きに合流し、革命運動にかかわりはじめた。
21歳のとき、革命運動に関与して逮捕。数日で釈放されるが、以来、ゴーリキーの行動はつねに帝政ロシアの警察の監視下におかれ、逮捕と釈放が繰り返されることになる。
各地を放浪するなか、作家のウラジミール・コロレンコに出会い、励まされて小説を書きだし、24歳のとき処女作『マカール・チュドラ』を新聞紙上に発表。30歳で『オーチェルクと短編』を出版し、一躍人気作家となった。34歳のとき、代表作の戯曲『どん底』初演。
1905年1月、サンクトペテルブルクであった「血の日曜日」事件に参加。逮捕され、保釈金を積んで釈放された。警察側の監視体制はいよいよ強まるが、そのなかで執筆を続けた。
1917年、ゴーリキーが49歳の年に、二月革命、十月革命が起きた。ゴーリキーは、革命を応援してきた論者で、ロシア革命成功後は、新政府によって優遇されたが、権力をにぎった革命政府が横暴を働きだすと、彼はレーニンやトロツキー、スターリンをも容赦なく批判し、今度は新政府ににらまれる存在となった。
61歳のとき、悪化した肺結核の療養のため、イタリアのソレントへ移ったが、64歳のときに帰国。ソヴィエト連邦政府は、有名人の帰国を、国家のいい宣伝材料として歓迎し、ゴーリキーに家や別荘を与え、彼の故郷を「ゴーリキー市」と改名した。
1936年6月、流行性感冒により没。68歳だった。スターリンによる大粛清がおこなわれていたころで、ゴーリキーの死には毒殺説も存在する。
ゴーリキーが67歳、亡くなる前の年に、『ジャン・クリストフ』の作家ロマン・ロランが彼を家に訪ねていて、ロランは印象をこう記している。
「ゴーリキーは敷居際に立って私たちを待っていた。もしスターリンが予想とはちがう人だとしたら、ゴーリキーは完全に想像どおりの顔であった。背がたいへん高い。私より高い。(中略)白髪混りのブロンドの眉、刈り込んだ灰色の頭髪、人の好い淡青色の眼。その眼の底に悲しみが見える」(佐藤清郎『ゴーリキーの生涯』筑摩書房)
苦しい家庭環境のなかから立ち上がり、絶望しかけたときもあったのを乗り越え、価値観がころころと変わる革命と動乱のきびしい時代をくぐりぬけた。権力者にもこびることなく、背筋をぴんと立てて生きた、みごとな生きざまだった。
(2025年3月16日)
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