1月22日は、英国ロマン派の詩人バイロン卿が生まれた日(1788年)だが、スウェーデンの劇作家ストリンドベリの誕生日でもある。
ヨハン・アウグスト・ストリンドベリは、1849年、スウェーデンの首都ストックホルムで生まれた。父親はもとは裕福な商人だったが、ヨハンが生まれたころにはすっかり落ちぶれていた。父親は元女中だった女性に次々と子どもを産ませながら、籍も入れずにいたが、4人目のアウグストが誕生するにおよんでようやく、彼の母親を妻として入籍した。
飢えとムチの体罰におびえながら育ったアウグストは、多感で激情的な子どもとなり、9歳のとき学校校長の娘に恋心を抱き、自殺しようとして剃刀を持ちだした。12歳で20歳の女性に夢中になり、13歳で母親を亡くした後、15歳のとき30歳の女性を熱烈に恋した。
彼は18歳でウプサラ大学に入学したが、仲の悪かった父親から学資を得られず、いったん小学校の教師になった。しかし、向学心抑えがたく、医者になろうと大学へ舞い戻った。そしてシラーの『群盗』を読んで感激し、急に俳優になろうと志望を変えた。劇団に加わったが、配役の不満と自分の素質のなさに絶望し、阿片を飲んで自殺をはかった。
かろうじて命が助かったストリンドベリは、強い創作意欲に目覚め、劇の脚本を書きだした。そうして21歳のとき、自作の悲劇『平和なき者』が上演され、国王から学資金を与えられた。大学をやめ、保険新聞の記者や電信技手などをへて、図書館に助手として勤めながら小説『学生物語』『赤い部屋』を発表すると、彼の筆名は高まった。
28歳のときに結婚した元男爵夫人との結婚生活のにがい経験を題材にした衝撃の戯曲『父』を発表し、さらに戯曲『令嬢ジュリー』『仲間』『債鬼』を書き、自然主義劇作家としてストリンドベリの名声は確固たるものになった。
小説では、自分の結婚生活を赤裸々につづった暴露小説『痴人の告白』や、ニーチェとの親交から生まれた長編小説『大海のほとり』を書いた後、12年以上連れ添い、あいだに3人の子どもをもうけていた元男爵夫人と離婚。
その後は、ドイツや英国、フランスなどに居を転々と移しながら、女流画家や女優と、結婚・離婚を繰り返しつつ、戯曲、小説、童話を書きつづけ、自作上演のための劇場を作ったりもした。思想的には、ニーチェの超人思想に傾倒した後、スウェーデンボルグの神秘思想に傾き、一時期は錬金術に凝り、いかさま師呼ばわりされ、発狂と自殺衝動の精神的危機にたびたびおちいった。
スウェーデン一の文豪であるストリンドベリに、スウェーデン・アカデミーがノーベル文学賞を授けないのを不服として、63歳の誕生日に、有志が募った寄付金が彼に贈られ、祝賀会が催されたが、彼はその4カ月後の1912年5月、胃がんのため没した。63歳だった。
映画「令嬢ジュリー」は映画史に残る名作だと小学生のころから聞いていた。大人になって観て、その通りだと納得した。戯曲『令嬢ジュリー』『父』、童話『真夏の頃』、小説『痴人の告白』などを読んだが、いずれも、読者の首根っこをつかみ、強引に引っ張ってゆく作者のエキセントリックな腕力が感じられる傑作である。現代の日本人には、おそらくストリンドベリは斬新に感じられるだろう。
文豪・山本周五郎は、ストリンドベリのこんなことばを座右の銘にしていたそうだ。
「苦しみつつなお働け、安住を求めるな、この世は巡礼なればなり」
(2025年1月22日)
●おすすめの電子書籍!
『世界文学の高峰たち 第二巻』(金原義明)
世界の偉大な文学者たちの生涯と、その作品世界を紹介・探訪する文学評論。サド、ハイネ、ボードレール、ヴェルヌ、ワイルド、ランボー、コクトー、トールキン、ヴォネガット、スティーヴン・キングなどなど三一人の文豪たちの魅力的な生きざまを振り返りつつ、文学の本質、創作の秘密をさぐる。読書家、作家志望者待望の書。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリは、1849年、スウェーデンの首都ストックホルムで生まれた。父親はもとは裕福な商人だったが、ヨハンが生まれたころにはすっかり落ちぶれていた。父親は元女中だった女性に次々と子どもを産ませながら、籍も入れずにいたが、4人目のアウグストが誕生するにおよんでようやく、彼の母親を妻として入籍した。
飢えとムチの体罰におびえながら育ったアウグストは、多感で激情的な子どもとなり、9歳のとき学校校長の娘に恋心を抱き、自殺しようとして剃刀を持ちだした。12歳で20歳の女性に夢中になり、13歳で母親を亡くした後、15歳のとき30歳の女性を熱烈に恋した。
彼は18歳でウプサラ大学に入学したが、仲の悪かった父親から学資を得られず、いったん小学校の教師になった。しかし、向学心抑えがたく、医者になろうと大学へ舞い戻った。そしてシラーの『群盗』を読んで感激し、急に俳優になろうと志望を変えた。劇団に加わったが、配役の不満と自分の素質のなさに絶望し、阿片を飲んで自殺をはかった。
かろうじて命が助かったストリンドベリは、強い創作意欲に目覚め、劇の脚本を書きだした。そうして21歳のとき、自作の悲劇『平和なき者』が上演され、国王から学資金を与えられた。大学をやめ、保険新聞の記者や電信技手などをへて、図書館に助手として勤めながら小説『学生物語』『赤い部屋』を発表すると、彼の筆名は高まった。
28歳のときに結婚した元男爵夫人との結婚生活のにがい経験を題材にした衝撃の戯曲『父』を発表し、さらに戯曲『令嬢ジュリー』『仲間』『債鬼』を書き、自然主義劇作家としてストリンドベリの名声は確固たるものになった。
小説では、自分の結婚生活を赤裸々につづった暴露小説『痴人の告白』や、ニーチェとの親交から生まれた長編小説『大海のほとり』を書いた後、12年以上連れ添い、あいだに3人の子どもをもうけていた元男爵夫人と離婚。
その後は、ドイツや英国、フランスなどに居を転々と移しながら、女流画家や女優と、結婚・離婚を繰り返しつつ、戯曲、小説、童話を書きつづけ、自作上演のための劇場を作ったりもした。思想的には、ニーチェの超人思想に傾倒した後、スウェーデンボルグの神秘思想に傾き、一時期は錬金術に凝り、いかさま師呼ばわりされ、発狂と自殺衝動の精神的危機にたびたびおちいった。
スウェーデン一の文豪であるストリンドベリに、スウェーデン・アカデミーがノーベル文学賞を授けないのを不服として、63歳の誕生日に、有志が募った寄付金が彼に贈られ、祝賀会が催されたが、彼はその4カ月後の1912年5月、胃がんのため没した。63歳だった。
映画「令嬢ジュリー」は映画史に残る名作だと小学生のころから聞いていた。大人になって観て、その通りだと納得した。戯曲『令嬢ジュリー』『父』、童話『真夏の頃』、小説『痴人の告白』などを読んだが、いずれも、読者の首根っこをつかみ、強引に引っ張ってゆく作者のエキセントリックな腕力が感じられる傑作である。現代の日本人には、おそらくストリンドベリは斬新に感じられるだろう。
文豪・山本周五郎は、ストリンドベリのこんなことばを座右の銘にしていたそうだ。
「苦しみつつなお働け、安住を求めるな、この世は巡礼なればなり」
(2025年1月22日)
●おすすめの電子書籍!
『世界文学の高峰たち 第二巻』(金原義明)
世界の偉大な文学者たちの生涯と、その作品世界を紹介・探訪する文学評論。サド、ハイネ、ボードレール、ヴェルヌ、ワイルド、ランボー、コクトー、トールキン、ヴォネガット、スティーヴン・キングなどなど三一人の文豪たちの魅力的な生きざまを振り返りつつ、文学の本質、創作の秘密をさぐる。読書家、作家志望者待望の書。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
