クリスマスは、万有引力を発見したあのニュートンが生まれた日(1642年)だが、映画俳優ハンフリー・ボガートの誕生日でもある。

「ボギー」こと、ハンフリー・ボガートは、1899年に米国ニューヨーク市で生まれた。本名は、ハンフリー・ディフォレスト・ボガート。下に妹が二人いた。
父親は心臓外科医。母親はイラストレーター、ファッション誌のアート・ディレクターをしていて、夫の倍以上の収入があった。
米国本流の由緒正しい家系で、裕福な家庭に育ったハンフリーは、子どものころ、母親のモデルとなり、彼を描いた絵が幼児用食品の広告や絵本に使われた。一面、彼は父親の影響を受け、船好き、釣り好きの少年でもあった。
不勉強な不良に育ったハンフリーは学校を退学後、第一次世界大戦に際し、18歳で海軍に入隊しヨーロッパへ派遣された。そして入隊した年に休戦となり、米国へ帰還した後は、彼はもっぱら海軍内の水兵のモデルとして勤務した。
21歳のころ海軍を除隊し、船荷の送り人、債権のセールスマン、沿岸警備隊など仕事を転々とした後、劇場の事務職の仕事につき、やがて端役で舞台に上がるようになった。
彼が29歳のとき、ウォール街の株価が大暴落し、世界恐慌がはじまった。
35歳のころブロードウェイの「化石の森」劇中で冷酷なギャング役を演じたところ、この芝居が大当たりをとり、悪役ボガートの評価も急上昇した。これがハリウッドで映画化されることになり、主演のレスリー・ハワードとともにボガートも舞台の役柄で映画に出ることになった。レスリー・ハワードは、後に大作「風と共に去りぬ」でアシュレー役を演じた英国の名優だが、彼がボガートの出演を映画会社側に強く推してくれた経緯があり、ボガートはこのときの恩を終生忘れず、息子を「レスリー」と名付けている。
ボガートが36歳のときに公開された映画「化石の森」は大ヒットし、ボガートの演技も絶賛され、彼はこの作品で一躍人気俳優の仲間入りを果たした。
41歳のときに主演した「マルタの鷹」でハードボイルド探偵サム・スペード役を演じ、ボギーの名声は高まった。その後「カサブランカ」「脱出」「三つ数えろ」「アフリカの女王」「ケイン号の叛乱」「麗しのサブリナ」「裸足の伯爵夫人」「必死の逃亡者」などの名作に主演。「アフリカの女王」でアカデミー賞主演男優賞を受賞した。
1940年代から50年代にかけて活躍したボガートは、56歳時の映画「殴られる男」が最後の出演作となり、1957年1月、食道ガンのため没した。57歳だった。

1999年におこなわれた米国映画協会のアンケートで、過去百年間の映画男優スターの第一位に選ばれたのが、ハンフリー・ボガートだった(女優はキャサリン・ヘプバーン)。

「カサブランカ」は、郷愁を呼ぶ男の美学が全編を貫いた名作である。でも、自分にはピンとこず、ボギーの演技を観て、うまい役者だと感じたことはなかった。せりふを、そっけない、事務的な口調でしゃべる大根役者、それがボガートの印象だった。でも「アフリカの女王」で粗野な船長役を演じる彼を観て、ようやくその魅力に気がついた。
ボガートは、いつもたばこを手にしているヘビースモーカーで、大酒飲みの、男臭さがぷんぷんする、昔かたぎのキザが服を着ているような俳優だった。でも、その中身はキザとは正反対の純朴な男だった。身近にいた人たちの証言によれば、素顔のボギーは、実直で、照れ屋で、浮ついた文句や俗物根性を嫌う、口下手な、意味のあることばを冷静に伝えようとする、男らしい男だったらしい。
彼は、そういう内面性が観る者の良心に訴えてくるタイプの名優だった。ボギーはアメリカの高倉健である。
(2024年12月25日)


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