12月11日は、細菌学者ロベルト・コッホが生まれた日(1843年)だが、岩崎弥太郎の誕生日でもある。三菱財閥の創業者である。
岩崎弥太郎は、天保5年12月11日(1835年1月9日)、土佐の国、現在の高知県安芸市で生まれた。父親は地下浪人で、弥太郎は長男だった。
小さいころから才気を発揮し、漢詩をよくした弥太郎は、土佐藩の学者で謹慎中だった吉田東洋の塾に入った。吉田東洋の謹慎が解け、藩政に復帰すると、弥太郎は師匠の下で藩の仕事をするようになり、藩命によって長崎へ派遣された。長崎で弥太郎は、水を得た魚のように藩のお金をつかって遊びまくり、土佐に呼びもどされた後、32歳のとき、土佐藩の商業部門である土佐商会の役人としてふたたび長崎へ行き、土佐藩の貿易の窓口となった。
そのころ、土佐藩を脱藩した坂本龍馬が脱藩の罪を放免され、土佐藩と和解した。龍馬が組織した海援隊は土佐藩の外郭団体となり、土佐藩から給与を支給されるようになると、弥太郎は海援隊の経理係も兼任した。
彼が33歳になる年に明治になった。弥太郎は東洋の塾生時代からの知己である土佐の後藤象二郎のつてで、土佐藩から船を手に入れ、これで海運業に乗りだした。これが三菱商会である。
弥太郎は、明治政府の高官となった後藤からインサイダー情報を仕入れては、政府の政策の一歩先をいった売買をして巨利を得た。さらに政商として、政府の海外出兵や、西南の役の際に政府の輸送業務を独占的に請け負い、大いにもうけた。
岩崎弥太郎の三菱財閥に対抗する三井財閥など反対勢力と、たがいに独占を目指してしのぎを削った後、明治18年(1885年)2月、胃ガンにより没した。51歳だった。
以前、NHKテレビで、福山雅治が坂本龍馬を演じた「龍馬伝」というドラマがあって、そのなかで、香川照之が岩崎弥太郎を演じていた。
土佐藩の公金を預かると、途端に大盤振る舞いで遊びに使ってしまうあたり、およそサムライでも役人でもない、岩崎弥太郎という人は山っ気の多い、個性的な人物だったのだろうと想像される。自分のふところが痛まない、他人のお金(税金など)だと急に気前がよくなる手合いは、現代でも政治家や官僚にごろごろしている。ただ、現代のけちな小役人とちがって、岩崎弥太郎には華があった。
海援隊隊長の坂本龍馬も、金貨の偽造をして当座をしのごうとするなど、多分に商売人的な生臭さをもつ男だったから、岩崎弥太郎とは気が合い、たがいに刺激し合う部分があったのではないか。
岩崎弥太郎はただ私腹を肥やそうとするだけの山師ではなかった。時代に機敏に対応し、利益を積み上げるのに才能を発揮しながら、一方では、坂本龍馬に気前よく餞別を渡すなど、人を援助し、育てることもした。清濁合わせ呑む大きな懐があったから、大財閥を築けたのだろう。
岩崎はこう言っている。
「自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故に事業は必成を期し得るものを選び、一旦始めたならば百難に撓(たわ)まず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ」(幕末ガイド: https://bakumatsu.org/)
(2024年12月11日)
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小さいころから才気を発揮し、漢詩をよくした弥太郎は、土佐藩の学者で謹慎中だった吉田東洋の塾に入った。吉田東洋の謹慎が解け、藩政に復帰すると、弥太郎は師匠の下で藩の仕事をするようになり、藩命によって長崎へ派遣された。長崎で弥太郎は、水を得た魚のように藩のお金をつかって遊びまくり、土佐に呼びもどされた後、32歳のとき、土佐藩の商業部門である土佐商会の役人としてふたたび長崎へ行き、土佐藩の貿易の窓口となった。
そのころ、土佐藩を脱藩した坂本龍馬が脱藩の罪を放免され、土佐藩と和解した。龍馬が組織した海援隊は土佐藩の外郭団体となり、土佐藩から給与を支給されるようになると、弥太郎は海援隊の経理係も兼任した。
彼が33歳になる年に明治になった。弥太郎は東洋の塾生時代からの知己である土佐の後藤象二郎のつてで、土佐藩から船を手に入れ、これで海運業に乗りだした。これが三菱商会である。
弥太郎は、明治政府の高官となった後藤からインサイダー情報を仕入れては、政府の政策の一歩先をいった売買をして巨利を得た。さらに政商として、政府の海外出兵や、西南の役の際に政府の輸送業務を独占的に請け負い、大いにもうけた。
岩崎弥太郎の三菱財閥に対抗する三井財閥など反対勢力と、たがいに独占を目指してしのぎを削った後、明治18年(1885年)2月、胃ガンにより没した。51歳だった。
以前、NHKテレビで、福山雅治が坂本龍馬を演じた「龍馬伝」というドラマがあって、そのなかで、香川照之が岩崎弥太郎を演じていた。
土佐藩の公金を預かると、途端に大盤振る舞いで遊びに使ってしまうあたり、およそサムライでも役人でもない、岩崎弥太郎という人は山っ気の多い、個性的な人物だったのだろうと想像される。自分のふところが痛まない、他人のお金(税金など)だと急に気前がよくなる手合いは、現代でも政治家や官僚にごろごろしている。ただ、現代のけちな小役人とちがって、岩崎弥太郎には華があった。
海援隊隊長の坂本龍馬も、金貨の偽造をして当座をしのごうとするなど、多分に商売人的な生臭さをもつ男だったから、岩崎弥太郎とは気が合い、たがいに刺激し合う部分があったのではないか。
岩崎弥太郎はただ私腹を肥やそうとするだけの山師ではなかった。時代に機敏に対応し、利益を積み上げるのに才能を発揮しながら、一方では、坂本龍馬に気前よく餞別を渡すなど、人を援助し、育てることもした。清濁合わせ呑む大きな懐があったから、大財閥を築けたのだろう。
岩崎はこう言っている。
「自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故に事業は必成を期し得るものを選び、一旦始めたならば百難に撓(たわ)まず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ」(幕末ガイド: https://bakumatsu.org/)
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