12月4日は、詩人リルケが生まれた日(1875年)だが、歴史学者カーライルの誕生日でもある。

トーマス・カーライルは、1795年、英国スコットランドのダムフリースで生まれた。
カルヴァン派だった両親の影響を受けたトーマスは、エディンバラ大学に進み、卒業後は高校で数学の教師をした後、25歳のころにエディンバラ大学へもどった。
26歳のころから著述に力を入れだし『英雄崇拝論』『フランス革命史』『オリバー・クロムウェル』『衣装哲学』などを書いた。
ドイツ観念論の研究者で、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を英訳して英国に紹介し、ゲーテと直接書簡をやりとりした。彼は生涯を通じて胃炎、胃潰瘍など胃の病気に苦しみ、そのために不機嫌で、人当たりが悪く、攻撃的だったと言われる。
70歳からエディンバラ大学の学長を努めた後、1881年2月、ロンドンで没した。85歳だった。カーライルの最期のことばはこうだった。
「そう、これが死だ。おやおや。(So, this is death. Well!)」

カーライルは、世界に先駆けて産業革命が進行していた時代の英国に生まれた。
彼が10歳のとき、抜群の生産力を背にした英国海軍が、仏ナポレオン軍をトラファルガーの海戦で破った。そして63歳のとき、英国はムガール帝国を滅亡させ、インドを完全に直接統治下においた。カーライルは、世界に植民地をもち「太陽の沈まぬ国」と言われたヴィクトリア朝・大英帝国を代表する知識人だった。チャールズ・ディケンズが小説『二都物語』を書くにあたり、『フランス革命史』の作者カーライルに参考書を貸してほしいと頼むと、カーライルは書籍を山と積んだ荷車を二台送ってよこしたという。

夏目漱石の『吾輩は猫である』にカーライルが登場する。
「気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁(はんばく)するほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、『君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ』とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極め付けたので主人は黙然としていた。」(夏目漱石『吾輩は猫である』青空文庫)

カーライルは経済学を「陰気な学問」と呼んで嫌い、経済学者が唱える政策が国を悪い方向へ導き、しかも誤った責任をとらないのだから、経済学者は選挙によって選ばれるべきだと訴えた。

「この国民にしてこの政府あり」
の名言で知られるカーライルは、こう言っている。
「人間がまずなすべき義務は恐怖心に打ち勝つことである。そこから抜け出さないうちは行動することができない。(The first duty of man is to conquer fear; he must get rid of it, he cannot act till then.)」(Brainy Quote)
これはゲーテやルーズベルトの言とも通じる、人類が獲得した叡知のひとつである。
(2024年12月4日)



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