10月12日は、プロスキーヤーの三浦雄一郎が生まれた日(1932年)だが、女子プロボウラー、中山律子の誕生日でもある。
中山律子(なかやまりつこ)は大戦中の1942年、温泉で有名な群馬県の草津町で生まれた。父親は厚生省の役人で、律子は男4人女3人の7人きょうだいの5番目だった。
父親の転勤のため、彼女が2歳か3歳のころ、一家は九州へ引っ越し、鹿児島で育った。
中山は中学、高校とバレーボールに熱中し、鹿児島女子高時代には国体に出場するほど高いレベルでプレーしていた。母親のはおでん屋にも中山は時々手伝いに行った。
高校を卒業すると、中山は愛知県の旭精機に入社し、実業団バレーボール選手として活躍した。が、会社のバレー部が解散となり、九州へ戻った。
帰郷し父親のコネで入った会社に勤めていた中山は、20歳のころ、友だちと初めてボウリング場へ行った。初のスコアは85点だったという。ボウリングが気に入り、熱中しだした彼女は、めきめき腕を上げ、翌年にはボウリングの九州大会で優勝、その次の年には全日本オープン選手権で準優勝した。誘われ、上京し、東京タワーボウリングセンターという会社に就職した。
「ちょっと変わった練習もしましたよ。東京タワーの外階段を一気に駆け上る。高さ百五十メートルの大展望台まで約六百段、何度も往復しました」(中山律子『中山律子の「この道」パーフェクトじゃない人生』東京新聞)
そして1969年に行われた第1回女子プロテストに挑戦し、第2位で合格し、26歳で晴れて女子プロボウラーとなった。そのときの第1位は須田開代子(すだかよこ)で、2人は以後女子プロの女王としてボウリングブームの牽引役となっていく。
プロとなった中山は、女子プロ誕生記念大会で優勝し、翌年の第1回全日本プロボウリング選手権大会でも優勝。さらに、ボウリングのテレビ番組中のゲームで、女子プロボウラーとして初の公認パーフェクトゲーム(300点満点の完全試合)を成し遂げた。
中山律子はその美貌とも相まって全国各地で開かれる大会、イベント、番組に引っ張りだことなり、CMに出演し、日本人で知らぬ者はいないほどの有名人となった。
「サインに次ぐサイン攻めがもとで、翌朝目覚めると手首から先がパンパンに晴れていることがあった。(中略)ボールが持てない。指孔に三本の指が収まらない上に、しびれて力が入らない」(中山律子『「さわやか律子さん」と呼ばれて』チクマ秀版社)」
ボウリング人気の看板的存在だった中山は、結婚、育児をへて、ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)を設立し、ボウリングの普及や後進の育成に尽力している。
かつて「ボウリングブーム」があった。熱狂は1970年頃に突如燃え上がり、日本列島に雨後のたけのこのようにボウリング場ができた。そのブームの象徴が中山律子だった。
「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」と歌う拍手付きの曲が流れる花王フェザーシャンプーのコマーシャルがテレビで繰り返し流れた。大会優勝やパーフェクトゲームの裏打ちもあったにせよ、やはり彼女を有名にしたのはあのコマーシャルなのに相違ない。
が、ボウリングブームは1973年のオイルショックが引き金になり立ち消え、全国にできたボウリング場のほとんどが取り壊されたり、ショッピングセンターに改装されたりし、1970年代半ばにはほとんど姿を消していた(存続したものも無論ある)。
ブームとははかない。しかし、ブームの華であった中山律子を思い出す時、そこにははかなさはない。そこに湧いてくるのは或るさわやかな、初々しく、鮮やかな印象であって、それは消えない。中山律子こそは時をとらえ、時に名を刻んだ、選ばれた人間である。
(2024年10月12日)
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中山律子(なかやまりつこ)は大戦中の1942年、温泉で有名な群馬県の草津町で生まれた。父親は厚生省の役人で、律子は男4人女3人の7人きょうだいの5番目だった。
父親の転勤のため、彼女が2歳か3歳のころ、一家は九州へ引っ越し、鹿児島で育った。
中山は中学、高校とバレーボールに熱中し、鹿児島女子高時代には国体に出場するほど高いレベルでプレーしていた。母親のはおでん屋にも中山は時々手伝いに行った。
高校を卒業すると、中山は愛知県の旭精機に入社し、実業団バレーボール選手として活躍した。が、会社のバレー部が解散となり、九州へ戻った。
帰郷し父親のコネで入った会社に勤めていた中山は、20歳のころ、友だちと初めてボウリング場へ行った。初のスコアは85点だったという。ボウリングが気に入り、熱中しだした彼女は、めきめき腕を上げ、翌年にはボウリングの九州大会で優勝、その次の年には全日本オープン選手権で準優勝した。誘われ、上京し、東京タワーボウリングセンターという会社に就職した。
「ちょっと変わった練習もしましたよ。東京タワーの外階段を一気に駆け上る。高さ百五十メートルの大展望台まで約六百段、何度も往復しました」(中山律子『中山律子の「この道」パーフェクトじゃない人生』東京新聞)
そして1969年に行われた第1回女子プロテストに挑戦し、第2位で合格し、26歳で晴れて女子プロボウラーとなった。そのときの第1位は須田開代子(すだかよこ)で、2人は以後女子プロの女王としてボウリングブームの牽引役となっていく。
プロとなった中山は、女子プロ誕生記念大会で優勝し、翌年の第1回全日本プロボウリング選手権大会でも優勝。さらに、ボウリングのテレビ番組中のゲームで、女子プロボウラーとして初の公認パーフェクトゲーム(300点満点の完全試合)を成し遂げた。
中山律子はその美貌とも相まって全国各地で開かれる大会、イベント、番組に引っ張りだことなり、CMに出演し、日本人で知らぬ者はいないほどの有名人となった。
「サインに次ぐサイン攻めがもとで、翌朝目覚めると手首から先がパンパンに晴れていることがあった。(中略)ボールが持てない。指孔に三本の指が収まらない上に、しびれて力が入らない」(中山律子『「さわやか律子さん」と呼ばれて』チクマ秀版社)」
ボウリング人気の看板的存在だった中山は、結婚、育児をへて、ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)を設立し、ボウリングの普及や後進の育成に尽力している。
かつて「ボウリングブーム」があった。熱狂は1970年頃に突如燃え上がり、日本列島に雨後のたけのこのようにボウリング場ができた。そのブームの象徴が中山律子だった。
「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」と歌う拍手付きの曲が流れる花王フェザーシャンプーのコマーシャルがテレビで繰り返し流れた。大会優勝やパーフェクトゲームの裏打ちもあったにせよ、やはり彼女を有名にしたのはあのコマーシャルなのに相違ない。
が、ボウリングブームは1973年のオイルショックが引き金になり立ち消え、全国にできたボウリング場のほとんどが取り壊されたり、ショッピングセンターに改装されたりし、1970年代半ばにはほとんど姿を消していた(存続したものも無論ある)。
ブームとははかない。しかし、ブームの華であった中山律子を思い出す時、そこにははかなさはない。そこに湧いてくるのは或るさわやかな、初々しく、鮮やかな印象であって、それは消えない。中山律子こそは時をとらえ、時に名を刻んだ、選ばれた人間である。
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