8月24日は、『地中海』を書いた歴史学者フェルナン・ブローデルが生まれた日(1902年)だが、歌人、若山牧水(わかやまぼくすい)の誕生日でもある。

若山牧水は1885年、宮崎県の現在の日向市に生まれた。本名を若山繁(しげる)といった。父親は開業医で、上に3人の姉がいる、4人きょうだいのいちばん下だった。
母親は弁当を作り、幼い繁を連れての山へ出かけ、わらびを摘み、栗を拾った。母親や姉たちの愛情を一身に浴びて育った繁は、中学で寄宿舎生活をはじめ、俳句や短歌の回覧雑誌を作りだした。号を「牧水」と名乗るようになった。「牧」は母の名から、「水」は自然のなかにある雨や渓流からとったものだという。
中学卒業後、早稲田大学の高等予科に入学。入ったのは文学部で、医者になり父親の跡を継ぐことを期待されていた唯一の男の子である牧水は、この進路についてはそうとう悩んだらしい。上京し、早稲田に入った牧水の同級生に、詩人の北原白秋、歌人の土岐善麿、小説家の佐藤緑葉ら後に名を成す文学者たちがいて親交を深めた。文学青年、牧水がこの学生時代に中国地方を旅して詠んだ歌のなかに、次の一首がある。

「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」

大学を卒業した牧水は処女歌集『海の声』を出版。そして新聞社に入社するが、5カ月で退社。その翌年に発表した第三歌集『別離』は、みずからの切なく苦しい恋愛体験を歌いあげた情熱的な歌集で、この歌集により牧水は一躍人気歌人となった。
26歳のころ、創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰し、友人だった歌人、石川啄木を看取り、女流歌人と結婚した。
35歳のころ、静岡県沼津の千本松原の景観に魅せられて、家族とともに沼津へ引っ越した。そして、詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。このころ、静岡県が千本松原を伐採する計画を発表すると、これに猛然と反対、新聞に意見を寄稿し、反対運動の先頭に立ち、ついに県の伐採計画を断念させた。
42歳になる年に、妻を連れて朝鮮半島へ揮毫旅行に出発し、体調を崩して戻った。そして翌年の1928年9月、急性胃腸炎と肝硬変を併発して沼津市の自宅で没した。43歳だった。

「白鳥は かなしからずや 空の青 海の青にも 染まずただよふ」

旅をし歌を詠んだ人、牧水の歌碑は全国各地にある。「旅の歌人」若山牧水はまた、1日に1升酒を飲む酒豪としても知られる。

「かんがへて 飲みはじめたる 一合の 二合の酒の 夏の夕暮れ」

「旅と酒の歌人」というと聞こえはいいが、その実、出版事業の失敗や沼津に建てた家の借金に追われて息つく間もなく揮毫して駆けまわる過密スケジュールの旅であり、憂さ晴らしのために飲みに飲んでなったアルコール依存症という側面もあり、傍で見るほど「旅と酒の歌人」は優雅な稼業でもなかったようだ。
でも、短歌にしろ、歌謡曲にしろ、もともと「歌」はそういうものかもしれない。恰好よくばかりもいかない実生活を、いいところだけをすくいあげて歌いあげ、「人生そんなに悪くないじゃないか」と納得させる、いい点に光を当てる。そういうものかもしれない。
だから、理不尽なものいいにあったり、自分が不甲斐なかったりしてむしゃくしゃするときは、牧水の歌を口ずさみながら、一杯のさかずきを傾けたい。

「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」

(2024年8月24日)



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