4月22日は、至上の哲学者イマヌエル・カントが生まれた日(1724年)だが、天才物理者ロバート・オッペンハイマーの誕生日でもある。

ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーは1904年、米国のニューヨークで、両親ともにユダヤ人の家庭に生まれた。
ジュリアスの父親は、ドイツから無一文で、学歴もなく、英語も話せないながら渡ってきた貧乏移民だったが、織物業界で成功し、ジュリアスが生まれたころには裕福な織物輸入業者になっていて、ジュリアスが8歳のときに引っ越したマンハッタンのマンションにはピカソやゴッホの絵が飾られていたという。ジュリアスの母親は画家で、ジュリアスには弟がいて、弟も後に物理学者になった。
「信教より行動を」とモットーとする倫理文化系の学校教育を受けたジュリアスは、飛び級して進学し、ハーバード大学に入学、化学を専攻したが、歴史、哲学、文学、数学も学び、また、物理学にも造詣が深かった。このころは実験物理学に興味をもっていた。
オッペンハイマー青年はハーバード大学を卒業すると、英国ケンブリッジ大学に留学した。
「原子物理学の父」ラザフォードが率いるケンブリッジ大は実験物理学の牙城だったが、担当教官とそりが合わず、オッペンハイマーは抑鬱状態におちいり、たばこをたくさん吸い、しばしば自暴自棄になった。そして、22歳のとき、英国を離れ、ドイツのゲッティンゲン大学に留学した。ここで彼は今度は理論物理学の研究に没頭し、「ボルン=オッペンハイマー近似」を発表し、23歳という若さで物理学の博士号をとった。
米国へもどったオッペンハイマーは、25歳でカリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学で物理学を教えた。
彼が35歳のときに第二次大戦が始まり、37歳のときに日米開戦、戦時となり、米国は原子爆弾を開発するマンハッタン計画を開始し、ニールス・ボーア、ジョン・フォン・ノイマン、リチャード・ファインマンなど優秀な物理学者たちがいっせいに狩り集められた。その陣頭指揮をとったのが、オッペンハイマーだった。彼は39歳でニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所の初代所長となり、原爆製造研究チームを主導、優れた統率力を発揮し、世界初の原子爆弾を作りあげ、核実験をおこなった。原爆は空路日本へ運ばれ、ヒロシマとナガサキに投下された。オッペンハイマーが41歳のときだった。
日本への原爆投下をオッペンハイマーは支持したが、その結果起きた惨状を知ると、ただちに後悔しだし、戦後は核兵器の国際的な管理を呼びかけ、核兵器開発競争に反対した。
オッペンハイマーはマッカーシーの赤狩り旋風が吹き荒れた1950年代に追及され、公職から追いだされ、以後もその日常をFBIなど体制側によって監視された。
ヘビースモーカーだったオッペンハイマーは、61歳で喉頭ガンと診断され、放射線治療を受けた後、1967年2月、ニュージャージー州プリンストンの自宅で没した。62歳だった。

2023年、映画「オッペンハイマー」が米国で公開され、8カ月遅れで被爆国・日本でも公開された。

被爆国民である日本人の耳には「原爆の父」オッペンハイマーの名は苦く響く。しかし、戦中は日本も、独米に比べだいぶ遅れていたとはいえ、核兵器開発にいそしんでいたのであり、もしもまかりまちがって日本が先に原爆製造に成功し、実戦で使っていたとして、その結果を見て、開発者たちがどれだけ悔いただろうか、ということを考えるとき、オッペンハイマーやアインシュタインの後悔の貴重さを思わざるを得ない。
(2024年4月22日)



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