4月25日は、清教徒革命の英雄、クロムウェル(1599年)が生まれた日だが、露国の作曲家、チャイコフスキーの誕生日でもある。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは、1840年4月25日(ユリウス暦による)、露国の鉱山都市ヴォトキンスクで生まれた。父親は製鉄所の所長だった。ピョートルは幼少から音楽好きで、5歳のころからピアノを習いだし、すぐに譜面が読めるようになった。
14歳のときに母親をコレラで亡くした彼は法律科へ進み、19歳のとき、法律学校を卒業し、法務省に入省した。
しかし22歳の年に一大決心をして、ペテルブルク音楽院に入学。しばらく役人生活と音楽学生と二足のわらじをはいたが、やがて役所のほうをやめ、音楽ひと筋に賭けた。
25歳で音楽院を卒業したチャイコフスキーは、モスクワ音楽院の音楽理論の教授に就任。以後、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、歌劇などを手がけた。バレエ音楽では、
36歳で「白鳥の湖」、
49歳で「眠れる森の美女」、
51歳の年には「くるみ割り人形」を発表した。そして、同年、訪米し、ニューヨークのカーネギー・ホールのこけら落としに出演。
1893年10月(ユリウス暦)、作曲した第6交響曲の初演をみずから指揮した9日後に没した。53歳だった。死因は、母親と同じコレラで、数日前に飲んだ生水が原因とされている。
チャイコフスキーは、おそらく世界の音楽史に名を残している作曲家では、唯一の、法学を修めた役人出身の音楽家であろう。役人から転職した芸術家というと、三島由紀夫など、東大法学部、大蔵省、そして作家、というコースを歩んだ変わり種だが、役人からの転身の、チャイコフスキーは先駆である。
チャイコフスキーは、バイセクシュアルだったようだ。同性の音楽家たちと友情以上のつきあいをし、また、女性に恋をしたし、実際に結婚もした。
バイセクシュアル自体は、とくに不思議でもなんでもない。日本でも戦国時代から男同士で関係をもちつつ、また妻帯もして子をもうける、というのはごくふつうだったし、英国やフランスでもバイは多い。
ただ、チャイコフスキーの場合は、その性的志向が、日常生活とうまくかみ合わなかったようで、彼が妻といっしょに暮らしたのはほんのひと月ほどだった。あとはずっと離ればなれになった。チャイコフスキーは、「妻を愛そうとするが愛せない」「妻がかわいそうである」「これがべつの女性でも同じ問題が起きたはずで、この不幸な結婚生活は妻のせいではない」などと、奥さんを弁護することばを書き残している。
ロシアのいまひとりの音楽の天才ショスタコーヴィチは、チャイコフスキーを評価しなかったそうだか、なんとなくわかる気がする。優劣の話でなく、生理的に合わなかったのではないか。ショスタコーヴィチは、きっと男が塗る口紅が嫌いだったのだ。
「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「花のワルツ」「こんぺい糖の踊り」。耳について離れないあのポップさにはことばもない。チャイコフスキーがもしもいま生きていたら、ポピュラーや映画音楽の世界でも活躍して、世界的大ヒットを連発していたにちがいない。絢爛たるメロディー・メイカーである。
(2023年4月25日)
●おすすめの電子書籍!
『大音楽家たちの生涯』(原鏡介)
古今東西の大音楽家たちの生涯、作品を検証する人物評伝。彼らがどんな生を送り、いかにして作品を創造したかに迫る。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンから、シェーンベルク、カラヤン、ジョン・ケージ、小澤征爾、中村紘子まで。音の美的感覚を広げるクラシック音楽史。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは、1840年4月25日(ユリウス暦による)、露国の鉱山都市ヴォトキンスクで生まれた。父親は製鉄所の所長だった。ピョートルは幼少から音楽好きで、5歳のころからピアノを習いだし、すぐに譜面が読めるようになった。
14歳のときに母親をコレラで亡くした彼は法律科へ進み、19歳のとき、法律学校を卒業し、法務省に入省した。
しかし22歳の年に一大決心をして、ペテルブルク音楽院に入学。しばらく役人生活と音楽学生と二足のわらじをはいたが、やがて役所のほうをやめ、音楽ひと筋に賭けた。
25歳で音楽院を卒業したチャイコフスキーは、モスクワ音楽院の音楽理論の教授に就任。以後、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、歌劇などを手がけた。バレエ音楽では、
36歳で「白鳥の湖」、
49歳で「眠れる森の美女」、
51歳の年には「くるみ割り人形」を発表した。そして、同年、訪米し、ニューヨークのカーネギー・ホールのこけら落としに出演。
1893年10月(ユリウス暦)、作曲した第6交響曲の初演をみずから指揮した9日後に没した。53歳だった。死因は、母親と同じコレラで、数日前に飲んだ生水が原因とされている。
チャイコフスキーは、おそらく世界の音楽史に名を残している作曲家では、唯一の、法学を修めた役人出身の音楽家であろう。役人から転職した芸術家というと、三島由紀夫など、東大法学部、大蔵省、そして作家、というコースを歩んだ変わり種だが、役人からの転身の、チャイコフスキーは先駆である。
チャイコフスキーは、バイセクシュアルだったようだ。同性の音楽家たちと友情以上のつきあいをし、また、女性に恋をしたし、実際に結婚もした。
バイセクシュアル自体は、とくに不思議でもなんでもない。日本でも戦国時代から男同士で関係をもちつつ、また妻帯もして子をもうける、というのはごくふつうだったし、英国やフランスでもバイは多い。
ただ、チャイコフスキーの場合は、その性的志向が、日常生活とうまくかみ合わなかったようで、彼が妻といっしょに暮らしたのはほんのひと月ほどだった。あとはずっと離ればなれになった。チャイコフスキーは、「妻を愛そうとするが愛せない」「妻がかわいそうである」「これがべつの女性でも同じ問題が起きたはずで、この不幸な結婚生活は妻のせいではない」などと、奥さんを弁護することばを書き残している。
ロシアのいまひとりの音楽の天才ショスタコーヴィチは、チャイコフスキーを評価しなかったそうだか、なんとなくわかる気がする。優劣の話でなく、生理的に合わなかったのではないか。ショスタコーヴィチは、きっと男が塗る口紅が嫌いだったのだ。
「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「花のワルツ」「こんぺい糖の踊り」。耳について離れないあのポップさにはことばもない。チャイコフスキーがもしもいま生きていたら、ポピュラーや映画音楽の世界でも活躍して、世界的大ヒットを連発していたにちがいない。絢爛たるメロディー・メイカーである。
(2023年4月25日)
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