3月29日は、世界最大の小売業者「ウォルマート」の創業者サム・ウォルトンが生まれた日(1918年)だが、「ノーマリゼーションの父」バンク-ミッケルセンの誕生日でもある。

ニルス・エリク・バンク-ミッケルセンは、1919年、デンマーク、ユトランド半島のスキャンで生まれた。生家は紳士服屋だった。
彼の姓「バンク-ミッケルセン」は、父方の姓「バンク」と、母方の姓「ミッケルセン」をハイフンでつないだもの。
16歳のとき、ニルスはシェラン島にある首都コペンハーゲンの高校に入学。高校2年生のとき、合唱団で知り合った女生徒ビヤタと恋に落ち、これが周知の仲となると、二人はともに退学処分にあった。
バンク-ミッケルセンは大学入学検定試験を受け、コペンハーゲン大学の法学部に入学。大学在学中に、ビヤタと結婚した。
21歳の大学生だったとき、ドイツが不可侵条約を破ってデンマークに侵入。デンマークは降伏し、ドイツの占領下に入った。
バンク-ミッケルセンは、レジスタンスの地下新聞の編集発行をしていたが、逮捕され強制収容所に入れられた。約5カ月後に釈放され、彼はふたたびレジスタンス活動に入った。
ナチス・ドイツの占領が解けた戦後は、知人のつてをたどって、社会省(日本の厚労省に相当)に入省。希望に反して、精神薄弱福祉課に配属された。そこで施設行政を担当することになった彼は、知的障害者のおかれた環境の劣悪さに驚き、知的障害者の親の会とともに、行政府、立法府に改善を求めて働きかけた。彼らは「ノーマリゼーション」ということばを掲げ、
「知的障害者も人格があり、ノーマルな人々と同じように生活する権利を持つ人間」
と訴えた。この訴えは、1959年、彼が40歳のときに法制化された。
以後、バンク-ミッケルセンは、国内外にノーマリゼーションを訴えて広く活動。
48歳のときには米国カリフォルニア州の知的障害者の施設を見学し、
「デンマークでは、家畜でもこのように取り扱いません」(花村春樹『「ノーマリゼーションの父」N・E・バンク-ミッケルセン』ミソルヴァ書房)
と批判し、当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンを激怒させた。が、その後、州が派遣した調査委員会の調査によって、批判がもっともであることが明らかになると、レーガン知事はしぶしぶ負けを認め、施設改善に着手した。
49歳のとき、バンク-ミッケルセンはケネディ国際賞を受賞。日本にも来訪し講義をした後、1990年9月、大腸ガンにより没。71歳だった。高校をいっしょに退学させられた恋人ビヤタとは、結婚して死別するまで、約50年間、伴侶として連れ添った。

ノーマリゼーションとは、知的障害者も、ふつうの人と同様、教育を受け、仕事をし、日常を過ごすといった、ごくふつうの生活を送る権利を持っているのであり、そういう生活が送れるようにする、ということである。人々はそれを認めるべきだし、行政府はそれを補助しなくてはならない、というのがバンク-ミッケルセンの主張である。

以前、知的障害者のグループホームを手伝ったことがある。隔離、差別はもちろん、特別視、意識的に扱うのでなく、同じ社会で暮らし、困ってる人を見かけたら、近くにいる人がごく自然に手を貸してやる。そういう社会でありたい。
(2023年3月29日)



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