2月4日は、詩人ジャック・プレヴェールが生まれた日(1900年)だが、米国の人権運動家、ローザ・パークスの誕生日でもある。
ローザ・パークスこと、ローザ・ルイーズ・マコーリーは、1913年、米国アラバマ州タスキーギで生まれた。父親は大工だった。「リー」の愛称で呼ばれた彼女は黒人女性だった。
彼女は11歳のとき、州都モンゴメリーの学校をへて就職し、19歳のとき、黒人理容師レイモンド・パークスと結婚した。彼女はローザ・ルイーズ・マコーリー・パークスとなった。
1955年12月、42歳になったローザ・パークスは、ずっと勤めている百貨店の仕事帰り、いつものようにバスに乗った。
当時の南部にはジム・クロウ法があり、モンゴメリー市の条例によって、バスの座席は、有色人種と白人とでは、席が区分けされていた。バスの後ろが黒人の席で、前が白人の席。「カラード(有色人種)」という札で境界が示されていて、その札は運転手がこみ具合によって動かすことになっていた。白人と黒人が同じ横の列に並んではいけないのがルールで、そのときパークスは黒人の席の最前列にすわっていた。
しだいに車内が混雑してきた。白人用の席がいっぱいになり、白人の客がさらに乗ってきた。すると、運転手がやってきて「有色人種」の札をひとつ後ろの列に移し、黒人席の最前列にいた彼女ら4人の客に、立って席を移るように言った。ほかの3人の黒人は席を立ったが、ローザ・パークスは立たなかった。彼女はただ、横の窓ぎわの席へずれた。
「なぜ、席を立たないのだ?」
「立つべきだと思わないから」
「それなら、警察を呼んで逮捕してもらうぞ」
「どうぞ、そうしてください」
運転手はその通りにし、ローザ・パークスは逮捕された。彼女は留置場に入り、簡易裁判を受けて、罰金刑が下り、すぐに釈放された。
このニュースが走ると、現地の黒人たちが立ち上がった。
当時モンゴメリーの教会の牧師だった、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、地域の黒人に、バスに乗車しないようバス・ボイコット運動を呼びかけた。
ここから公民権運動の大きなうねりがはじまり、運動のうねりは全米へ波及し、1961年の「フリーダム・ライダー」運動や、1963年のワシントン大行進へとつながんていく。
ローザ・パークスは公民権運動に参加した後、ミシガン州デトロイトへ移った。彼女は自己開発教育センターを創設し、青少年の人権教育に尽くした後、2005年10月、デトロイトにて没した。92歳だった。件のバスは現在、ミシガン州ディアボーンのヘンリー・フォード博物館に展示されている。パークスは米国では教科書にも載っている全国民の常識である。
そのとき、ほかの3人と同じように席を立っていたら、彼女はローザ・パークスになれなかった。立たないことによって、彼女はリンチにあう、殺さる、家に放火される、家族を殺される、といった事態さえあり得た。この状況下で立たないでいるのはむずかしい。
後年、ローザ・パークスは、なぜ席を立たなかったのかと問われて、こう答えたそうだ。
「今回ばかりは人間として、市民としての権利を守らなくてはならないと感じたため」
いまこそが「人生の時」というときはある。
(2023年2月4日)
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『女性解放史人物事典 ──フェミニズムからヒューマニズムへ』(金原義明)
平易で楽しい「読むフェミニズム事典」。女性の選挙権の由来をさぐり、自由の未来を示す知的冒険。アン・ハッチンソン、メアリ・ウルストンクラフトからマドンナ、アンジェリーナ・ジョリーまで全五〇章。人物事項索引付き。フェミニズム研究の基礎図書。また女性史研究の可能性を見通す航海図。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp

ローザ・パークスこと、ローザ・ルイーズ・マコーリーは、1913年、米国アラバマ州タスキーギで生まれた。父親は大工だった。「リー」の愛称で呼ばれた彼女は黒人女性だった。
彼女は11歳のとき、州都モンゴメリーの学校をへて就職し、19歳のとき、黒人理容師レイモンド・パークスと結婚した。彼女はローザ・ルイーズ・マコーリー・パークスとなった。
1955年12月、42歳になったローザ・パークスは、ずっと勤めている百貨店の仕事帰り、いつものようにバスに乗った。
当時の南部にはジム・クロウ法があり、モンゴメリー市の条例によって、バスの座席は、有色人種と白人とでは、席が区分けされていた。バスの後ろが黒人の席で、前が白人の席。「カラード(有色人種)」という札で境界が示されていて、その札は運転手がこみ具合によって動かすことになっていた。白人と黒人が同じ横の列に並んではいけないのがルールで、そのときパークスは黒人の席の最前列にすわっていた。
しだいに車内が混雑してきた。白人用の席がいっぱいになり、白人の客がさらに乗ってきた。すると、運転手がやってきて「有色人種」の札をひとつ後ろの列に移し、黒人席の最前列にいた彼女ら4人の客に、立って席を移るように言った。ほかの3人の黒人は席を立ったが、ローザ・パークスは立たなかった。彼女はただ、横の窓ぎわの席へずれた。
「なぜ、席を立たないのだ?」
「立つべきだと思わないから」
「それなら、警察を呼んで逮捕してもらうぞ」
「どうぞ、そうしてください」
運転手はその通りにし、ローザ・パークスは逮捕された。彼女は留置場に入り、簡易裁判を受けて、罰金刑が下り、すぐに釈放された。
このニュースが走ると、現地の黒人たちが立ち上がった。
当時モンゴメリーの教会の牧師だった、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、地域の黒人に、バスに乗車しないようバス・ボイコット運動を呼びかけた。
ここから公民権運動の大きなうねりがはじまり、運動のうねりは全米へ波及し、1961年の「フリーダム・ライダー」運動や、1963年のワシントン大行進へとつながんていく。
ローザ・パークスは公民権運動に参加した後、ミシガン州デトロイトへ移った。彼女は自己開発教育センターを創設し、青少年の人権教育に尽くした後、2005年10月、デトロイトにて没した。92歳だった。件のバスは現在、ミシガン州ディアボーンのヘンリー・フォード博物館に展示されている。パークスは米国では教科書にも載っている全国民の常識である。
そのとき、ほかの3人と同じように席を立っていたら、彼女はローザ・パークスになれなかった。立たないことによって、彼女はリンチにあう、殺さる、家に放火される、家族を殺される、といった事態さえあり得た。この状況下で立たないでいるのはむずかしい。
後年、ローザ・パークスは、なぜ席を立たなかったのかと問われて、こう答えたそうだ。
「今回ばかりは人間として、市民としての権利を守らなくてはならないと感じたため」
いまこそが「人生の時」というときはある。
(2023年2月4日)
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