1月5日はゴロで「囲碁の日」だが、日本の国民的作家、夏目漱石の誕生日でもある。

夏目漱石、本名・夏目金之助は東京(江戸)で、慶応3年1月5日に生まれた(西暦だと異なる)。漱石は東大の英文科に進み、28歳のとき、四国の松山中学の教師として赴任した。このときの体験が、後に小説『坊っちゃん』として結実する。
33歳のとき、文部省の留学生として、英国ロンドンに留学。ロンドンでは下宿に閉じこもりがちだったらしい。36歳で帰国。一高、東大の講師となったが、神経衰弱に悩まされ、家庭生活にも支障をきたした。
30代の終わりに、俳句の師匠である高浜虚子にすすめられて小説『吾輩(わがはい)は猫である』を書いた。小説のタイトルは、もともと『猫伝』だったところ、虚子に、よくない、それならむしろ、小説の冒頭の一行「吾輩は猫である。名前は未だ無い」からもってくるべきだと言われ、現在の形になったらしい。
『猫』を発表したところ、たいそう好評で、その評判に気をよくして書いたのが、前述の『坊っちゃん』。彼は一躍、人気作家となった。以後、『草枕』『夢十夜』『三四郎』『それから』『門』『行人』『こころ』『明暗』など、文学史に残る作品群を書いた。
漱石が小説を書いていたのはほんの十年間ほどで、たったそれだけの期間にこれだけの作品を生みだし、文豪の名をほしいままにしている事実には、まったく驚かされる。
1916年、胃潰瘍が悪化し亡。49歳だった、執筆途中の『明暗』は未完となった。

子どものころから漱石の作品を読んでいる。でも、たとえば泉鏡花、川端康成、横光利一とかのように、傑作、駄作をひっくるめて大好き、という「好きな作家」ではない。特に漱石の中期以降の作品は、首をかしげたくなるものが多く、世評高い『こころ』にも首をかしげる。なんだか、この人、ずいぶん無理をして苦しそうに書いているなあ、と。
中期の三部作として知られる『三四郎』『それから』『門』にしてもそうで、『三四郎』はおもしろいし、しめくくり方に切れ味があるけれど、『それから』『門』にいたっては、ええっ? こんなんでいいの? と展開に疑問を感じる。
ただ、初期の作品はもう、手放しで絶賛せざるを得ない傑作で、『猫』『坊っちゃん』には脱帽する。文章の切れが鮮やかだし、話の展開もみごとで、いったんページをめくりだしたらやめられない「強さ」をもっている。漱石ファンには異論があるだろうけれど、漱石は初期こそすごい、というのが、自分の正直な感想である。

夏目漱石は、小説家として有名だけれど、本来は俳句や漢詩を愛する東洋の詩人であった、というのが私見である。俳人の村山古郷なども同様の主張を述べている。漱石の俳句は、秀逸な感心させられるものが多い。
「初夢や金も拾わず死にもせず」
「叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉(もくぎょかな)」
あるいは、漱石のつぎのような句に、他者にない独特の発想を感じ、はっとさせられる。
「菫程(すみれほど)な小さき人に生まれたし」
「無人島の天子とならば涼しかろ」

「漱石はその遺した全著作よりも大きい人物であった。その人物にいくらかでも触れ得たことを私は今でも幸福に感じている」(『漱石の人物』)
といったのは、哲学者の和辻哲郎である。芥川龍之介を世に出し、初対面なのにお金を借りにきた泉鏡花を快く迎えた夏目漱石は、「文豪」として分類しておしまいにするには惜しい、もっとふところの深い、偉大な人物だったのではないか。
(2023年1月5日)



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