2月8日は、ファッションデザイナー、山本寛斎が生まれた日(1944年)だが、永遠の青春スター、ジェームズ・ディーンの誕生日でもある。

ジェームズ・ディーンは、1931年、米インディアナ州マリオンで生まれた。本名は、ジェームズ・バイロン・ディーン。父親は、政府に任命を受けた歯科技工師だった。
父親の転勤や、母親の他界により親戚に預けられと、米国の東部と西部を行ったり来たりして育ったジェームズ少年は、高校を卒業すると、西海岸、カリフォルニア州のサンタモニカ市立大学へ通いはじめた。
ジェームズ・ディーンは大学では専門の法律学で、演劇ゼミに熱中した。そうして、サンタモニカ大から、より演劇の盛んなUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)へ移った。しして大学の授業そっちのけで、映画出演のオーディション通いと、アルバイトに精を出す、いつも腹をすかせている貧乏な無名役者時代を始めた。
やがてオーディション不合格の続く苦悩の日々に区切りをつけ、ディーンは演技の勉強をするために東海岸のニューヨークへ引っ越していった。
アクターズ・スクールで演技の勉強をしながらオーディションを受け続け、しだしにテレビや演劇の端役を務めるようになり、彼の運命はようやく動きだした。やがて、端役でない、主役級の仕事を得るようになった。そしてブロードウェイでの演技が評価されると、エリア・カザン監督の新作映画の主役の話が舞い込んできた。「欲望という名の電車」「波止場」でマーロン・ブランドをスターに押し上げたカザン監督は、今回はジェームズ・ディーンという無名役者を取り上げ、大作「エデンの東」の主演に抜擢した。
カザンの英断はずばり的中し「エデンの東」は大ヒットした。
新しいヒーロー像がここに誕生した。背の高い、腕っぷしの強い正義漢といったこれまでのハリウッドのヒーロー像を、ディーンは完全に過去のものに追いやった。身長170センチメートルと小柄で、線が細く、けんかが弱そうで、伏し目がちに人を見る、屈折した感情と傷つきやすいハートをもった孤独な若者像が広く共感をもって迎えられたのだった。
1955年のはじめには、「エデンの東」の公開前で、まだ無名だったディーンが、同じ年の秋にはすでに大スターとしての名声に包まれていた。
「エデンの東」の成功を見た映画会社から出演依頼が押し寄せ、ディーンは「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の撮影に入った。映画「ジャイアンツ」の撮影が終わった1955年9月30日、ディーンは、銀色の新車ポルシェ・スパイダーのハンドルを握り、同じカリフォルニア州内のサリナスでおこなわれるカーレースに出場するため、ロサンゼルスを出発した。その日の午後5時すぎ、制限速度をはるかに超える時速135キロメートルで走っていた彼のポルシェは、交差点を曲がろうとした対向車のフォードと正面衝突し、大破した。くしゃくしゃにつぶれたポルシェの運転席で、ディーンは息絶えていた。24歳だった。

没後に公開された「理由なき反抗」「ジャイアンツ」はともにヒットし、ジェームズ・ディーンは銀幕にその姿をとどめる永遠のスターとなった。彼はスクリーンにその姿が映っただけで、ぱっと場面にある情感が流れだす、新しいタイプの名優、映画史上にほとばしった一瞬の火花だった。23歳から24歳にかけて撮った、たった3作品のみで永遠のスターとして語り継がれている事実は驚くべきである。
(2021年2月8日)



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