1月8日は、心理学者、カール・ロジャーズが生まれた日(1902年)だが、ロック界のスーパースター、デヴィッド・ボウイの誕生日でもある。

デヴィッド・ボウイは本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズ。英国イングランドの首都ロンドンで、1947年1月8日に生まれた。団塊の世代のひとりである。
父親は、第二次大戦からの復員後、孤児院に勤めていた。デヴィッドには10歳年上の異父兄テリーがいて、彼はこの兄から、音楽、文学の手ほどきを受けた。兄テリーはその後精神を病み、1985年、デヴィッドが38歳のとき、鉄道レールにとびこんで自殺した。
さて、12歳でハイスクールに入学したデヴィッドはサキソフォンを手に入れ、猛練習しだした。そして「14歳のとき、とつぜんセックスが人生のすべてになった。相手はもう誰でも、それがセックスでさえあれば、男でも女でもかまわなかった」と彼自身が回想するワイルドな生活を送るようになった。16歳のときには、けんかをして殴られ、両目ともの失明は免れたが、左目の瞳孔が開きっぱなしになった。
デヴィッドは学校を中退し、広告代理店に勤めながら、クラブで演奏するようになり、ほどなくして代理店を辞め、シンガー・ソング・ライターとして活動するようになる。
17歳のとき、レコード会社と契約。バンドを組んだり、別れたりしては、レコーディングとライブ活動をつづけた。そして、18歳のとき、米国の「ザ・モンキーズ」のデヴィッド・ジョーンズと同名なのを嫌い、「ボウイ・ナイフ」から「デヴィッド・ボウイ」と名乗り、パントマイムの一座に参加したり、映画に出たりしながら、音楽活動をつづけた。
1971年から翌72年にかけて英国で起きたグラム・ロックの一大ブームに乗り、ボウイは一気にスターダムに駆け上がった。グラム・ロックとは、けばけばしい化粧をし、はでな衣裳を身にまとった魅惑的なロックンロールのことだが、そのブームの真っただ中の25歳のとき、ボウイは「ぼくはバイ・セクシュアルだ」と公言し、賛否両論を巻き起こした。同時期に、歴史的な傑作アルバム「ジギー・スターダスト」を発表。以後、
「アラジン・セイン」
「ダイアモンド・ドッグス」
「ヤング・アメリカンズ」
「ステイション・トゥ・ステイション」
「ロウ」
「ヒーローズ」
「スケアリー・モンスターズ」
「レッツ・ダンス」
「アワーズ」
「リアリティー」
などの名作を発表し、その都度自分のイメージを大きく変化させていった。
レコーディングと演奏ツアーのかたわら、映画にも出演。「地球に落ちてきた男」「ジャスト・ア・ジゴロ」「ハンガー」「戦場のメリークリスマス」「ビギナーズ」「ラビリンス/魔王の迷宮」などの演技で、高い評価を得た。
2016年1月8日、69歳の誕生日にあたるこの日に、ボウイは新作アルバム「★(ブラックスター)」を発表。その2日後、肝臓がんにより米国ニューヨークの自宅アパートで没した。

「レッツ・ダンス」の世界的ヒットで流行のメインストリームに躍り出たとき、ボウイは、「(以前の自分は)メジャーなカルトだった」と評したが、そのカルト信者の一人が自分である。教祖についてはけっして語りつくせない。ボウイ教の福音書に、電子書籍『デヴィッド・ボウイの生涯』『デヴィッド・ボウイの思想』がある。

ボウイの音楽の特徴は、美しいメロディーを、わざと壊したところにある。繊細なガラス細工を丹精こめて作り上げた後、一部をわざと割っておく。髪の先から爪先まで、非の打ちどころのない完璧な美人よりも、どこかに一点、欠けたものがあったほうが、かえって印象が増し、魅力的になる。そういう機微を心得た至上のイメージメイカーだった。
(2021年1月8日)


●おすすめの電子書籍!

『デヴィッド・ボウイの生涯』(金原義明)
緊急出版。デヴィッド・ボウイ総論。至上のロックスター、デヴィッド・ボウイの人生、音楽、詞、方法論など、その全貌を明らかにする人物評論。


『デヴィッド・ボウイの思想』(金原義明)
デヴィッド・ボウイについての音楽評論。至上のロックッスター、ボウイの数多ある名曲のなかからとくに注目すべき曲をとりあげ、そこからボウイの方法論、創作の秘密、彼の思想に迫る。また、ボウイがわたしたちに贈った遺言、ラストメッセージを明らかにする。ボウイを真剣に理解したい方のために。


『心を探検した人々』(天野たかし)
心理学の巨人たちとその方法。心理学者、カウンセラーなど、人の心を探り明らかにした人々の生涯と、その方法、理論を紹介する心理学読本。パブロフ、フロイト、アドラー、森田、ユング、フロム、ロジャーズ、スキナー、吉本、ミラーなどなど。われわれの心はどう癒されるのか。


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