9月8日は、冒険家のヨットマン、堀江謙一が生まれた日(1938年)だが、漫才コンビ・ダウンタウンの松ちゃんこと、松本人志(まつもとひとし)の誕生日でもある。

松本人志は、1963年、兵庫県尼崎市で生まれた。人をおもしろがらせるのが好きだった松本少年は、小中学校時代からの仲間、浜田雅功(はまだまさとし)とコンビを組み、19歳のころ、芸能プロダクション・吉本興業が設立したNSC(New Star Creation)へ、第一期生として入学した。そして20歳のとき、コンビ名を「ダウンタウン」とし大阪で活動を開始した。NSCの研究生のなかでも、ダウンタウンのおもしろさは図抜けていたという。

もっぱら松本がネタ(漫才のシナリオ)を書くダウンタウンは、彼が25歳の年に東京へ進出し、従来のスタイルにとらわれない、新しい感覚の漫才コンビとして頭角をあらわした。彼らはラジオやテレビの深夜番組でチャンスをつかみ、さらに小中学校時代の仲間である高須光聖(たかすみつよし)を大阪から呼び寄せ、放送作家として迎え、チームを組んだ。結果、ダウンタウンは若者を中心に人気を集め、やがて深夜枠からゴールデンタイムのテレビ枠に進出し、全国的に顔を知られる存在となった。
31歳のころの松本の著書『遺書』は、200万部を超える大ベストセラーとなり、当時発表されていた芸能人長者番付のトップに、相方の浜田とともに躍り出た。
また、44歳のとき、みずから脚本を書き、出演した映画「大日本人」で映画監督デビューも果たしている。いまや松本は、バラエティ番組のほか、歌番組、ワイドショーなどの企画、構成、司会も務める、テレビ界、芸能界に隠然たる勢力、影響力をもつ存在である。

それほど有名でないころからのダウンタウンファン、松ちゃんファンである。
けれど、彼が言うことを一から十まで信じる盲信的な心酔者ではない。松本の笑いにおける巨大な才能には敬服しているものの、彼の教養や知性には多分に疑問をもっている。
彼が本に書く内容には他人からの受け売りを自分の独創のごとくに書いた部分が多いし、彼の社会批評的な発言には、自家撞着や、ヴォルテールが聞いたら激怒しそうな言論の自由を封じ込める「お前は黙ってろ」式の論法がしばしば出てくるからである。

それにしても、ダウンタウンのトークスタイルは革新的だった。
ダウンタウンは漫才コンビというより、お笑いトーク(ダベリ)コンビである。若者のダベリに、発想・視点の転換による驚きを載せ、笑いとして提供する。それが松本の革新性の核心である。ただし風俗的にはダウンタウンは、貧しい生活環境で育った庶民派であることと、そうした育ちからくるガラの悪さを売りにして成功した。彼らの流行が日本人の笑いの感覚を新たな次元へ導いたけれど、おかげで日本の若者やテレビ文化の品が悪くなり、言葉遣いがより物騒になった面もあるだろう。昔はテレビで「殺す」などの暴言は聞かれなかった。暴言担当の汚れ役は相方の浜田だが、シナリオを書いているのは松本で、ひっぱたかれ笑っているボケ役の松本こそが暴力的言動の主犯であり、確信犯である。

ダウンタウンの登場により、世の笑いの感覚はずいぶん変わった。松本人志が演出するスタイルが、世の笑いの価値観を強い腕力で押し曲げ、自分たちの方へ引き寄せた。結果、ダウンタウンの笑いこそが世のスタンダードとなった。彼らが所属する芸能事務所・吉本興業にしても、ダウンタウンこそ社の柱であり、彼らの元マネージャーが社長、副社長を占めるまでに勢力図が書き変えられた。松本人志という男のセンス、能力、献身、そういったものが時代に穴を開け、社会を突き動かしたのである。
(2020年9月8日)



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