12月13日は、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネの誕生日である。
「なじかは知らねど、心わびて……」、あの魅惑の詩「ローレライ」の作者である。
クリスティアン・ヨハン・ハインリッヒ・ハイネは、1797年、ドイツのデュッセルドルフに、布地を扱うユダヤ人商人を父親として生まれた。ハインリッヒは4人きょうだいのいちばん上の子どもである。母親は医者の娘で、ハインリッヒの妹も医者になっている。弟はウィーンで新聞を発行し男爵となっている。知的レベルの高い家庭だった。
ナポレオンがフランス皇帝になったのは、ハイネが6歳のとき。
当時のドイツでは文章を書いた原稿料で生計を立てるのは困難で、大学をでたハイネは、職につけないまま、北海のほとりに滞在して詩想をねったりしていた。
そんなとき、ハンブルクでたまたま知り合った出版社社長と意気投合し、ハイネは『旅の絵』という紀行文集を出版することになった。28歳のころで、これがひじょうな好評を博し、つづけて出版されたのが詩集『歌の本』だった。「ローレライ」が含まれているこの本は大ヒットし、ハイネは有名な詩人兼ジャーナリストとなった。
ただし、ハイネは愛の詩を歌うばかりでなく、ドイツの各層の狂信的な愛国主義に鋭い批判をあびせたり、自分がユダヤ人であることをこきおろす文筆家と壮絶な泥仕合の批判合戦をくり広げたりする、怒れるジャーナリストでもあった。
結局、ドイツ国民すべてを敵にまわした恰好で、ハイネは33歳のとき、フランス・パリに移住する。ハイネはパリで、ショパン、リスト、ロッシーニ、バルザック、ユゴー、デュマらと交流を深め、若きカール・マルクスとかたい友情を結んだ。
この異国の都で『ドイツ・ロマン派』『ロマンツェーロー』を書いたハイネは、50歳前後から麻痺を抱えるようになり、1856年、58歳で亡くなっている。
ハイネが大好きで、彼の著書や研究書をたくさんもっている。
ハイネはことばの魔法使いだった。ハインリッンヒ・ハイネという名前自体、すでに詩的だが、彼はアダムとイヴについて、こう書いた。
「イヴはりんごを食べて知恵がついた。さて、知恵のついた女性がまず考えるのは、ドレスのことである」
ハイネは若いころ、あこがれのゲーテに会っている。その印象を彼はこう記している。
「彼の眼は神の眼のように静かであった。(中略)神々の眼はいつも決して動かないからである。ナポレオンの眼もこの特質をもっていた。それ故に私は、ナポレオンは神であったと確信している。ゲーテの眼は、高齢になっても青年時代と同じように、つねに神々しかった。歳月はいかにも彼の頭を雪でおおいはしたけれども、それをかがませることはできなかった。彼はその頭を、同じように変ることなく昂然ともたげていた。そして口をひらくと彼はいよいよ偉大になった。彼は、手をのばせば、天上の星たちに、その進路をさし示すことができるかのようであった。(中略)それは、すでに私がさきにゲーテをそれと比較したところの、神々の父であるジュピターにもそなわっているものなのだ。じっさい私は、ゲーテをヴァイマールに訪ねて、彼に向いあった時、稲妻を嘴にくわえた鷲が彼と並んでいはしないかと、思わずかたわらを見たのであった。私はあやうくギリシャ語で彼に語りかけるところだった。」(『ドイツ・ロマン派』山崎章甫訳)
ため息がでるような才筆である。
(2019年12月13日)
●おすすめの電子書籍!
『世界文学の高峰たち 第二巻』(金原義明)
世界の偉大な文学者たちの生涯と、その作品世界を紹介・探訪する文学評論。サド、ハイネ、ボードレール、ヴェルヌ、ワイルド、ランボー、コクトー、トールキン、ヴォネガット、スティーヴン・キングなどなど三一人の文豪たちの魅力的な生きざまを振り返りつつ、文学の本質、創作の秘密をさぐる。読書家、作家志望者待望の書。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp

「なじかは知らねど、心わびて……」、あの魅惑の詩「ローレライ」の作者である。
クリスティアン・ヨハン・ハインリッヒ・ハイネは、1797年、ドイツのデュッセルドルフに、布地を扱うユダヤ人商人を父親として生まれた。ハインリッヒは4人きょうだいのいちばん上の子どもである。母親は医者の娘で、ハインリッヒの妹も医者になっている。弟はウィーンで新聞を発行し男爵となっている。知的レベルの高い家庭だった。
ナポレオンがフランス皇帝になったのは、ハイネが6歳のとき。
当時のドイツでは文章を書いた原稿料で生計を立てるのは困難で、大学をでたハイネは、職につけないまま、北海のほとりに滞在して詩想をねったりしていた。
そんなとき、ハンブルクでたまたま知り合った出版社社長と意気投合し、ハイネは『旅の絵』という紀行文集を出版することになった。28歳のころで、これがひじょうな好評を博し、つづけて出版されたのが詩集『歌の本』だった。「ローレライ」が含まれているこの本は大ヒットし、ハイネは有名な詩人兼ジャーナリストとなった。
ただし、ハイネは愛の詩を歌うばかりでなく、ドイツの各層の狂信的な愛国主義に鋭い批判をあびせたり、自分がユダヤ人であることをこきおろす文筆家と壮絶な泥仕合の批判合戦をくり広げたりする、怒れるジャーナリストでもあった。
結局、ドイツ国民すべてを敵にまわした恰好で、ハイネは33歳のとき、フランス・パリに移住する。ハイネはパリで、ショパン、リスト、ロッシーニ、バルザック、ユゴー、デュマらと交流を深め、若きカール・マルクスとかたい友情を結んだ。
この異国の都で『ドイツ・ロマン派』『ロマンツェーロー』を書いたハイネは、50歳前後から麻痺を抱えるようになり、1856年、58歳で亡くなっている。
ハイネが大好きで、彼の著書や研究書をたくさんもっている。
ハイネはことばの魔法使いだった。ハインリッンヒ・ハイネという名前自体、すでに詩的だが、彼はアダムとイヴについて、こう書いた。
「イヴはりんごを食べて知恵がついた。さて、知恵のついた女性がまず考えるのは、ドレスのことである」
ハイネは若いころ、あこがれのゲーテに会っている。その印象を彼はこう記している。
「彼の眼は神の眼のように静かであった。(中略)神々の眼はいつも決して動かないからである。ナポレオンの眼もこの特質をもっていた。それ故に私は、ナポレオンは神であったと確信している。ゲーテの眼は、高齢になっても青年時代と同じように、つねに神々しかった。歳月はいかにも彼の頭を雪でおおいはしたけれども、それをかがませることはできなかった。彼はその頭を、同じように変ることなく昂然ともたげていた。そして口をひらくと彼はいよいよ偉大になった。彼は、手をのばせば、天上の星たちに、その進路をさし示すことができるかのようであった。(中略)それは、すでに私がさきにゲーテをそれと比較したところの、神々の父であるジュピターにもそなわっているものなのだ。じっさい私は、ゲーテをヴァイマールに訪ねて、彼に向いあった時、稲妻を嘴にくわえた鷲が彼と並んでいはしないかと、思わずかたわらを見たのであった。私はあやうくギリシャ語で彼に語りかけるところだった。」(『ドイツ・ロマン派』山崎章甫訳)
ため息がでるような才筆である。
(2019年12月13日)
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