9月2日は、タレントの早見優が生まれた日(1966年)だが、米国のテニスプレイヤー、ジミー・コナーズの誕生日でもある。ボルグやマッケンローらとともに、1970年代、1980年代のテニスの黄金時代を担った選手である。
「ジミー・コナーズ」こと、ジェイムズ・スコット・コナーズは、1952年、米国イリノイ州のベルビルで生まれた。彼は小さいときから、テニスのレッスン・プロだった母親からテニスの指導を受けた。
コナーズは、UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)在学中の19歳のとき、NCAAシングルスで優勝し、20歳の年にプロに転向。1973年、21歳の年には、名選手のアーサー・アッシュをやぶってUSプロのシングルスで優勝した。
翌年、22歳のときには、「テニスの教科書」ケン・ローズウォールを倒して全英(ウィンブルドン)と全米で優勝。攻撃的なプレースタイルで、テニス界に新しい時代が来たことを宣言した。
コナーズは左利きで、バックハンドは両手打ちだった。彼はサービスリターンの名手と言われたが、最大の武器は、その不屈の闘志だった。彼は最後まであきらめず、数々の劣勢を土壇場でひっくり返して、世界中のテニスファンを魅了した。彼はボルグ、マッケンローらと数々の死闘を演じ、テニスの黄金時代を築いた。40歳で現役を引退。以後、みずからシニア・ツアーを創設して、世界各国をまわりだした。
はじめてコナーズを間近に見たのは、1989年の全米オープンのときだった。当時、コナーズはすでに37歳でピークをすぎていた。たまたま彼の試合前のストローク練習を間近で見る機会があった。練習後、引き上げていく彼に声をかけた。
「Good luck tonight, Jimmy. (幸運を、今夜の試合の。ジミー)」
「Thank you.(ありがとう)」
ラケットをもった手を軽くあげ、彼はロッカールームのほうへ消えていった。
その夕方、そのセンターコートで、男子シングルスの準々決勝、コナーズ対アンドレ・アガシ(19歳)という米国勢同士のゲームがおこなわれた。
スタシアムのすみで観ていた。コナーズがポイントをとるたびに、スタジアムじゅうの観衆が大声援を送る。アガシがポイントをとっても、まばらな拍手しか起きない。しかし、試合はしだいに若いアガシの優勢となっていった。そうして、ついに、アガシがつぎのサービスゲームをキープすれば、そのままアガシの勝ちが決まるという場面がきた。アガシが先にベンチを立ってコートへ進む。コナーズも立ち上がった。彼は歩きかけ、立ち止まった。腰をすこし落とし、両手のこぶしを握り、声をあげ、自身に喝をいれた。即ち、スタジアムには歓声の嵐が巻きおこった。これほど米国人に愛されているプレイヤーもすくない。コナーズはアメリカ人らしい、ファイティング・スピリットを目に見える形で誇示する選手で、あれほど魅力的なプレイヤーは、もう現れないだろう。
結局コナーズは、そのゲームをとれず、その年の全米オープンをベスト8で終わった。しかし、彼はいまなお米国の英雄であり、全米オープンで5度優勝していて、シングルス通算で98勝という全米オープンの最多勝記録をもつ生きた伝説である。いまでも目を閉じれば、あの、フラッシングの大観衆をわかせた「目に見える闘志」がまぶたに浮かぶ。
(2019年9月2日)
●おすすめの電子書籍!
『アスリートたちの生きざま』(原鏡介)
さまざまなジャンルのスポーツ選手たちの達成、生き様を検証する人物評伝。嘉納治五郎、ネイスミス、チルデン、ボビー・ジョーンズ、ルー・テーズ、アベベ、長嶋茂雄、モハメド・アリ、山下泰裕、マッケンロー、本田圭佑などなど、アスリートたちの生から人生の陰影をかみしめる「行動する人生論」。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

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コナーズは、UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)在学中の19歳のとき、NCAAシングルスで優勝し、20歳の年にプロに転向。1973年、21歳の年には、名選手のアーサー・アッシュをやぶってUSプロのシングルスで優勝した。
翌年、22歳のときには、「テニスの教科書」ケン・ローズウォールを倒して全英(ウィンブルドン)と全米で優勝。攻撃的なプレースタイルで、テニス界に新しい時代が来たことを宣言した。
コナーズは左利きで、バックハンドは両手打ちだった。彼はサービスリターンの名手と言われたが、最大の武器は、その不屈の闘志だった。彼は最後まであきらめず、数々の劣勢を土壇場でひっくり返して、世界中のテニスファンを魅了した。彼はボルグ、マッケンローらと数々の死闘を演じ、テニスの黄金時代を築いた。40歳で現役を引退。以後、みずからシニア・ツアーを創設して、世界各国をまわりだした。
はじめてコナーズを間近に見たのは、1989年の全米オープンのときだった。当時、コナーズはすでに37歳でピークをすぎていた。たまたま彼の試合前のストローク練習を間近で見る機会があった。練習後、引き上げていく彼に声をかけた。
「Good luck tonight, Jimmy. (幸運を、今夜の試合の。ジミー)」
「Thank you.(ありがとう)」
ラケットをもった手を軽くあげ、彼はロッカールームのほうへ消えていった。
その夕方、そのセンターコートで、男子シングルスの準々決勝、コナーズ対アンドレ・アガシ(19歳)という米国勢同士のゲームがおこなわれた。
スタシアムのすみで観ていた。コナーズがポイントをとるたびに、スタジアムじゅうの観衆が大声援を送る。アガシがポイントをとっても、まばらな拍手しか起きない。しかし、試合はしだいに若いアガシの優勢となっていった。そうして、ついに、アガシがつぎのサービスゲームをキープすれば、そのままアガシの勝ちが決まるという場面がきた。アガシが先にベンチを立ってコートへ進む。コナーズも立ち上がった。彼は歩きかけ、立ち止まった。腰をすこし落とし、両手のこぶしを握り、声をあげ、自身に喝をいれた。即ち、スタジアムには歓声の嵐が巻きおこった。これほど米国人に愛されているプレイヤーもすくない。コナーズはアメリカ人らしい、ファイティング・スピリットを目に見える形で誇示する選手で、あれほど魅力的なプレイヤーは、もう現れないだろう。
結局コナーズは、そのゲームをとれず、その年の全米オープンをベスト8で終わった。しかし、彼はいまなお米国の英雄であり、全米オープンで5度優勝していて、シングルス通算で98勝という全米オープンの最多勝記録をもつ生きた伝説である。いまでも目を閉じれば、あの、フラッシングの大観衆をわかせた「目に見える闘志」がまぶたに浮かぶ。
(2019年9月2日)
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