12月5日は、不確定性原理の科学者ハイゼンベルクが生まれた日(1901年)だが、ディズニーランドを作ったウォルト・ディズニーの誕生日も同年同月同日である。
ウォルト・ディズニーは、1901年12月5日、米国のシカゴで誕生した。
ウォルトの父親はアイルランド系カナダ人で、もともとカリフォルニアで金鉱さがしをしていた山師で、結婚したころには鉄道会社に勤めていた。
ウォルトは転地と転職を繰り返す父親に連れられて、小さいころから各地を転々と引っ越し、朝四時半に起きて新聞配達をしてから学校へ通うなど、働きながら育った。
子どものころから絵を描くのが好きで、絵画学校にも通った。
そうして、十代のころからミズーリ州のカンザスシティーで漫画を描く仕事をはじめ、その後、アニメーション作りへと興味が移っていった。
アニメ作りは最初個人でやっていたが、限界を感じて、アニメーターを雇い入れ、アニメ・プロダクションをはじめた。
プロダクション経営は、いったん失敗したものの、再起を期して、映画の街ハリウッドへ打ってでた。彼は22歳のとき、兄のロイといっしょにカリフォルニア州へ引っ越し、ハリウッドにマンガのプロダクションを設立した。
ディズニー兄弟のプロダクションは、ハリウッドでは配給会社にいじめられ、事業は窮地におちいり、その成功はけっしてすんなり運んだわけではなかった。そんな苦しいとき、ミッキーマウスというキャラクターを創造してアニメ映画で売り出すと、これが大好評を博し、ミッキーによって苦難をはねのけ、大逆転で躍進をとげた。
後にこのころを振り返って、ディズニーはこう述べている。
「ミッキーマウスがわたしの心のなかからひょいっと飛びだしてスケッチブックの上に現れたのは二〇年前、マンハッタンからハリウッドへ行く列車に乗っているときだった。そのとき、兄ロイとわたしの事業は衰退の極みにあって、大惨事がすぐつぎの角まで迫ってきていた。(Mickey Mouse popped out of my mind onto a drawing pad 20 years ago on a train ride from Manhattan to Hollywood at a time when business fortunes of my brother Roy and myself were at lowest ebb and disaster seemed right around the corner.)」(Brainy Quote)
ミッキーマウスで当てたディズニーは、アニメ映画制作のかたわら、テーマパーク建設に乗りだした。それが、1955年、ディズニーが五四歳になる年にカリフォルニア州アナハイムの地にオープンしたディズニーランドである。
さらにリゾート建設もてがけ、フロリダにウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの開発に着手したが、この完成を見ぬまま、ディズニーは1966年12月に亡くなった。六五歳だった。
ディズニーの生涯をながめると、それは貧しい環境から身を起こして大成功を収めたアメリカン・ドリームであり、また、一漫画家から出発して、世界に君臨する大エンターテイメント帝国を築きあげた、エンターテイメント界の天才物語でもある。
ウォルト・ディズニーのことばにこういうのがある。
「すべてのわれわれの夢は実現する──もしもわれわれが夢を追いつづける勇気をもつならば」
(2017年12月5日)
●おすすめの電子書籍!
『映画監督論』(金原義明)
古今東西の映画監督30人の生涯とその作品を論じた映画人物評論集。人と作品による映画史。チャップリン、エイゼンシュテイン、溝口健二、ウォルト・ディズニー、ハワード・ヒューズ、ヴィスコンティ、黒澤明、パゾリーニ、アラン・レネ、ゴダール、トリュフォー、宮崎駿、ベルトリッチ、北野武、黒沢清……などなど監督論30本を収録。映画人たちの人生を通して「映画を観ることの意味」に迫り、百年間の映画史を総括する知的追求。映画ファン必読の「シネマの参考書」。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

ウォルト・ディズニーは、1901年12月5日、米国のシカゴで誕生した。
ウォルトの父親はアイルランド系カナダ人で、もともとカリフォルニアで金鉱さがしをしていた山師で、結婚したころには鉄道会社に勤めていた。
ウォルトは転地と転職を繰り返す父親に連れられて、小さいころから各地を転々と引っ越し、朝四時半に起きて新聞配達をしてから学校へ通うなど、働きながら育った。
子どものころから絵を描くのが好きで、絵画学校にも通った。
そうして、十代のころからミズーリ州のカンザスシティーで漫画を描く仕事をはじめ、その後、アニメーション作りへと興味が移っていった。
アニメ作りは最初個人でやっていたが、限界を感じて、アニメーターを雇い入れ、アニメ・プロダクションをはじめた。
プロダクション経営は、いったん失敗したものの、再起を期して、映画の街ハリウッドへ打ってでた。彼は22歳のとき、兄のロイといっしょにカリフォルニア州へ引っ越し、ハリウッドにマンガのプロダクションを設立した。
ディズニー兄弟のプロダクションは、ハリウッドでは配給会社にいじめられ、事業は窮地におちいり、その成功はけっしてすんなり運んだわけではなかった。そんな苦しいとき、ミッキーマウスというキャラクターを創造してアニメ映画で売り出すと、これが大好評を博し、ミッキーによって苦難をはねのけ、大逆転で躍進をとげた。
後にこのころを振り返って、ディズニーはこう述べている。
「ミッキーマウスがわたしの心のなかからひょいっと飛びだしてスケッチブックの上に現れたのは二〇年前、マンハッタンからハリウッドへ行く列車に乗っているときだった。そのとき、兄ロイとわたしの事業は衰退の極みにあって、大惨事がすぐつぎの角まで迫ってきていた。(Mickey Mouse popped out of my mind onto a drawing pad 20 years ago on a train ride from Manhattan to Hollywood at a time when business fortunes of my brother Roy and myself were at lowest ebb and disaster seemed right around the corner.)」(Brainy Quote)
ミッキーマウスで当てたディズニーは、アニメ映画制作のかたわら、テーマパーク建設に乗りだした。それが、1955年、ディズニーが五四歳になる年にカリフォルニア州アナハイムの地にオープンしたディズニーランドである。
さらにリゾート建設もてがけ、フロリダにウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの開発に着手したが、この完成を見ぬまま、ディズニーは1966年12月に亡くなった。六五歳だった。
ディズニーの生涯をながめると、それは貧しい環境から身を起こして大成功を収めたアメリカン・ドリームであり、また、一漫画家から出発して、世界に君臨する大エンターテイメント帝国を築きあげた、エンターテイメント界の天才物語でもある。
ウォルト・ディズニーのことばにこういうのがある。
「すべてのわれわれの夢は実現する──もしもわれわれが夢を追いつづける勇気をもつならば」
(2017年12月5日)
●おすすめの電子書籍!
『映画監督論』(金原義明)
古今東西の映画監督30人の生涯とその作品を論じた映画人物評論集。人と作品による映画史。チャップリン、エイゼンシュテイン、溝口健二、ウォルト・ディズニー、ハワード・ヒューズ、ヴィスコンティ、黒澤明、パゾリーニ、アラン・レネ、ゴダール、トリュフォー、宮崎駿、ベルトリッチ、北野武、黒沢清……などなど監督論30本を収録。映画人たちの人生を通して「映画を観ることの意味」に迫り、百年間の映画史を総括する知的追求。映画ファン必読の「シネマの参考書」。
●電子書籍は明鏡舎。
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