4月25日は、トータルフットボールの英雄ヨハン・クライフが生まれた日(1947年)だが、露国の作曲家、チャイコフスキーの誕生日でもある。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは、1840年4月25日(ユリウス暦による)、露国の鉱山都市ヴォトキンスクで生まれた。父親は、製鉄所の所長だった。ピョートルは子どものころから音楽好きで、5歳のころからピアノを習いだし、すぐに譜面が読めるようになった。
14歳のときに母親をコレラで亡くした。彼は法律科へ進み、19歳のとき、法律学校を卒業し、法務省に入省した。
その後、22歳の年に、一大決心をして、ペテルブルク音楽院に入学。しばらく役人生活と音楽学生と、二足のわらじをはいていたが、やがて役所のほうをやめ、音楽ひと筋に人生を賭けた。
25歳で音楽院を卒業したチャイコフスキーは、モスクワ音楽院の音楽理論の教授に就任。以後、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、歌劇など、さまざまな作曲を手がけた。バレエ音楽では、
36歳で「白鳥の湖」、
49歳で「眠れる森の美女」、
51歳の年には「くるみ割り人形」を発表した。そして、同年、訪米し、ニューヨークのカーネギー・ホールのこけら落としに出演。
1893年10月(ユリウス暦)、作曲した第6交響曲の初演をみずから指揮した9日後に没した。53歳だった。死因は、母親と同じコレラで、数日前に飲んだ生水が原因とされている。

チャイコフスキーは、おそらく世界の音楽史に名を残している作曲家では唯一の、法学を修めた役人出身者である。

チャイコフスキーは、バイセクシュアルだったようだ。同性の音楽家たちと友情以上のつきあいをし、また、女性に恋をしたし、実際に結婚もした。
チャイコフスキー国賓の豪華絢爛さは、彼のそうした性癖に関係があるかもしれない。オスカー・ワイルド、デヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー、三島由紀夫、そういった人たちにも通じる、ある華やかさ、けばけばしさがある。
天才ショスタコーヴィチは、チャイコフスキーを評価しなかったそうだが、彼はそうした性質が生理的に合わなかったのかもしれない。

組曲「くるみ割り人形」は、九つの部分に部分に分けられるけれど、どの部分のメロディーもよく知られている。「小序曲」「行進曲」「トレパーク」「中国の踊り」「花のワルツ」、それから「こんぺい糖の踊り」。
チャイコフスキーが、もしもいま生きていたら、ポピュラーや映画音楽の世界でも活躍して、世界的大ヒットを連発していたにちがいない。すごいメロディー・メイカーだった。
(2017年4月25日)


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