7月30日は、『嵐が丘』の作者エミリー・ブロンテが生まれた日(1818年)だが、「自動車王」ヘンリー・フォードの誕生日でもある。
ヘンリー・フォードは、1863年、米国ミシガン州のディアボーンで生まれた。父親はもともと英国イングランド由来のアイルランド移民で、農場経営者だった。母親はベルギー系の移民の娘だった。ヘンリーは8人きょうだいの上から二番目だったが、上の子どもは生後すぐに亡くなっていて、長男として育った。
13歳のとき、ヘンリーは父親から懐中時計をプレゼントされ、それを分解し、組み立てた。父親は彼を農場の後継者として期待していたが、ヘンリーは技術者志望で、愛する母親が亡くなると農場に未練はなくなり、16歳で家を出、近郊の都市デトロイトに出て、機械工の見習いになった。働きながら、簿記の学校に通ったフォードは、28歳のとき、エジソン照明会社の技術者となった。
フォードは働きながら、余暇を利用して内燃機関の研究をし、四輪自動車を試作した。発明王トマス・エジソンはそんな彼のクルマへの夢を励ましたという。
36歳のとき、フォードは資金を出してくれるパトロンを見つけ、独立。自動車会社を興した。しかし、自動車は売れず、フォードが38歳になる年に会社は解散した。
その後、自動車を試作してはレースに参加し、新会社を設立しては追いだされるといった苦闘の時期をへて、40歳の年にフォード・モーター・カンパニーを設立。
彼が45歳のときに発売された大衆車T型フォードは、それまでの常識を破る低価格と、かんたんな運転法と修理法の画期的な自動車で、大々的に広告が打たれ爆発的ヒットとなった。
フォードはその後も、資源の再生利用などコスト削減を工夫し、クルマの値下げを実施し、50歳のころ、ベルトコンベアによるライン生産方式を完成させた。
また一方で、社員が自社製品を買えない状況では真の繁栄は実現されないと、フォードは51歳のとき、従業員の賃金を、一日平均2ドル40セントから、最低でも5ドル以上へと一気に倍額以上にアップさせ、世界をあっと言わせた。
裸一貫から世界的企業を築き上げたフォードは、1947年4月、脳内出血のため、ディアボーンで没した。83歳だった。
「人間の努力は、危機に際し、ときにそれに相応する力を突然、奮い起こし、一つの過程を完遂したり、不利に見える状況を都合のよい方向に向けてくれるように思われる。人間の経験を振り返るとき、いつの時代を見てもこの点はあまりにも明白であり、それについて疑問をはさむ余地はほとんどあるまい。
しかし、神は弱者の召使いではない。神は全力を出しきった者のために存在するのである。そうした人はその瞬間には弱者であるかもしれない。しかし、そうなるのはその人が生まれつき弱いからではなく、むしろ本来その人が強いからであり、その強さをある目的や仕事にすべて捧げてしまったからなのである。最後の力をふりしぼって糸をつかみ、神に呼びかけるとき、その力を惜しまず、その瞬間に持てる力をまったく使い果たしてしまったこの強き人の前に、神が現れ、その人を助けるのである。」(ヘンリー・フォード著、竹村健一訳『藁のハンドル』中公文庫)
(2016年7月30日)
●おすすめの電子書籍!
『ビッグショッツ』(ぱぴろう)
伝記読み物。ビジネス界の大物たち「ビッグショッツ」の人生から、生き方や成功のヒントを学ぶ。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ソフトバンクの孫正義から、ファッション・ブランドのココ・シャネル、金融のJ・P・モルガンまで、古今東西のビッグショッツ30人を収録。大物たちのドラマティックな生きざまが躍動する。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

ヘンリー・フォードは、1863年、米国ミシガン州のディアボーンで生まれた。父親はもともと英国イングランド由来のアイルランド移民で、農場経営者だった。母親はベルギー系の移民の娘だった。ヘンリーは8人きょうだいの上から二番目だったが、上の子どもは生後すぐに亡くなっていて、長男として育った。
13歳のとき、ヘンリーは父親から懐中時計をプレゼントされ、それを分解し、組み立てた。父親は彼を農場の後継者として期待していたが、ヘンリーは技術者志望で、愛する母親が亡くなると農場に未練はなくなり、16歳で家を出、近郊の都市デトロイトに出て、機械工の見習いになった。働きながら、簿記の学校に通ったフォードは、28歳のとき、エジソン照明会社の技術者となった。
フォードは働きながら、余暇を利用して内燃機関の研究をし、四輪自動車を試作した。発明王トマス・エジソンはそんな彼のクルマへの夢を励ましたという。
36歳のとき、フォードは資金を出してくれるパトロンを見つけ、独立。自動車会社を興した。しかし、自動車は売れず、フォードが38歳になる年に会社は解散した。
その後、自動車を試作してはレースに参加し、新会社を設立しては追いだされるといった苦闘の時期をへて、40歳の年にフォード・モーター・カンパニーを設立。
彼が45歳のときに発売された大衆車T型フォードは、それまでの常識を破る低価格と、かんたんな運転法と修理法の画期的な自動車で、大々的に広告が打たれ爆発的ヒットとなった。
フォードはその後も、資源の再生利用などコスト削減を工夫し、クルマの値下げを実施し、50歳のころ、ベルトコンベアによるライン生産方式を完成させた。
また一方で、社員が自社製品を買えない状況では真の繁栄は実現されないと、フォードは51歳のとき、従業員の賃金を、一日平均2ドル40セントから、最低でも5ドル以上へと一気に倍額以上にアップさせ、世界をあっと言わせた。
裸一貫から世界的企業を築き上げたフォードは、1947年4月、脳内出血のため、ディアボーンで没した。83歳だった。
「人間の努力は、危機に際し、ときにそれに相応する力を突然、奮い起こし、一つの過程を完遂したり、不利に見える状況を都合のよい方向に向けてくれるように思われる。人間の経験を振り返るとき、いつの時代を見てもこの点はあまりにも明白であり、それについて疑問をはさむ余地はほとんどあるまい。
しかし、神は弱者の召使いではない。神は全力を出しきった者のために存在するのである。そうした人はその瞬間には弱者であるかもしれない。しかし、そうなるのはその人が生まれつき弱いからではなく、むしろ本来その人が強いからであり、その強さをある目的や仕事にすべて捧げてしまったからなのである。最後の力をふりしぼって糸をつかみ、神に呼びかけるとき、その力を惜しまず、その瞬間に持てる力をまったく使い果たしてしまったこの強き人の前に、神が現れ、その人を助けるのである。」(ヘンリー・フォード著、竹村健一訳『藁のハンドル』中公文庫)
(2016年7月30日)
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