8月17日は、映画俳優ロバート・デ・ニーロが生まれた日(1943年)だが、女流作家ヘルタ・ミュラーの誕生日でもある。

ヘルタ・ミュラーは、1953年、ルーマニア西部のティミシュ県のニツキードルフで生まれた。ミュラー家は、ルーマニアのなかでドイツ語を話す少数派に属していた。ヘルタの祖父は、農業と商売をして裕福だったが、ルーマニアに共産主義体制が敷かれると、その資産は没収された。第二次大戦中は、ルーマニアのドイツ人たちの多くがナチス親衛隊に動員されたが、ヘルタの父親も大戦中はナチスの親衛隊員で、戦後はトラックの運転手になった。ヘルタの母親は戦争が終わった17歳のとき、ほかのルーマニアのドイツ人たちとともに、ソビエト連邦の強制労働キャンプに連れていかれ、そこで5年間働かされた。
大学でドイツ文学とルーマニア文学を専攻したヘルタは、23歳で大学を卒業し、工場の技術翻訳者として働きはじめた。が、秘密警察への協力を拒んだため、職場から追いだされることになった。ある日とつぜん彼女の机と椅子が片づけられ、仕事場への入室が禁じられ、彼女は秘密警察のスパイだといううわさが流されたという。
当時、チャウシェスク政権下のルーマニアでは、失業は犯罪だった。ヘルタ・ミュラーは代用教員、幼稚園教師、ドイツ語の家庭教師をして食いつなぎながら、詩や小説を書いた。
29歳のとき、ドイツ語で書いた最初の短編集『澱み』を出版。しかし、その内容は、検閲され、当局によっていちじるしく改ざんされたものだった。
31歳のとき、『澱み』の未検閲版が西ドイツで出版され、西側諸国で高い評価を受けた。彼女は著名人となり、これにより、ルーマニア当局は彼女の生命には手を出せなくなった。それでも、ミュラーに対する尋問、家宅侵入、脅迫は続き、彼女が31歳のとき、ついに出版活動を禁じられた。彼女は34歳のときに夫とともに西ドイツへ移住。大学で教鞭をとりながら、ルーマニアの管理された苛酷な状況を描いた作品を執筆しつづけた。
2009年、56歳のとき、ノーベル文学賞を受賞。長篇小説に『狙われたキツネ』『息のブランコ』などがある。

ミュラーがノーベル文学賞を受賞した後も、自分は彼女の作品を読まなかった。しかし、2012年に、中国の莫言(モーイエン)がノーベル文学賞を受賞したとき、批判的なコメントを発したので、ようやく興味をもちだして、短編をすこし読んだ。
短編集『澱み』に収録されているヘルタ・ミュラーの作品は、いずれも、きびしく管理された体制下の状況を描いているのだけれど、とても新鮮に感じられた。短編のせいか、表現がいちいち詩的でまるで「東欧の新感覚派」だった。たまに現代作家の外国作品を翻訳で読むのは、日本語の言語感覚についても刺激があっていいと思う。
ジョージ・オーウェルの『1984年』や、カフカの『審判』の世界が現実となった世界をよく観察して、それをまた架空の物語として描いている、というのがヘルタ・ミュラーの世界だと思う。
安部公房の『砂の女』を、東欧の人々が読むと、これは管理社会の状況を象徴的に描いたものだ、とただちに感得されたというのが、ミュラーを読んですこしわかった気がした。自分にとっては日本に生まれた不幸と、日本生まれの幸福を感じさせてくれる作家である。
(2015年8月17日)




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