7月30日は、「自動車王」ヘンリー・フォードが生まれた日(1863年)だが、女流作家エミリー・ブロンテの誕生日でもある。『嵐が丘』の作者である。

エミリー・ジェーン・ブロンテは、1818年、英国ヨークシャーのソーントンで生まれた。
父親はアイルランド系の牧師だった。
19歳のとき、エミリーは学校の教師になった。当時は女性が働く方法というと、学校教師か家庭教師しかなかったが、どちらも差別的、屈辱的な扱いを受ける仕事だった。エミリーは姉のシャーロット、妹のアンと相談し、姉妹で私塾を興そうと考えた。が、結局それを断念し、今度は三人で書いた詩を集め、お金をだしあって詩集を出版した。エミリーが28歳のときのことだった。詩集は2部も売れた。
つぎに彼女らが取り組んだのは、小説の執筆だった。彼女らは原稿を書いては出版社に送った。拒絶されては、また別の出版社に送ることを繰り返した。そうした努力が実り、ついに、シャーロットの書いた小説『ジェーン・エア』が出版された。すると『ジェーン・エア』は、たちまちベストセラーとなり、その勢いを借りて、エミリーの『嵐が丘』、アンの『アグネス・グレイ』といった小説も出版された。
1948年9月、結核で亡くなった兄の葬式の際にエミリーは風邪をこじらせ、同年12月に、彼女も兄の後を追うように没した。30歳だった。
『嵐が丘』は、エミリーの生前は、まったく評価されなかった。評価されだしたのは没後のことである。

『嵐が丘』を自分は何度か読んだ。何度読み返しても、その強烈さに圧倒される。拙著『名作英語の名文句』でも取り上げた。

『嵐が丘』のなか、主人公のヒースクリフが、愛し、また憎んでもいる女、キャシーが重病で伏しているところを見舞うシーンがある。彼はベッドわきにひざまずく。やがて彼が立ち上がろうとすると、キャシーは、ひざまずいたままでいるよう言い、こう非難する。
「なんであんたが苦しまないの? わたしは苦しんでいるのよ」(Why shouldn't you suffer? I do!)
こういう場面に自分はしびれる。

「小説の神様」志賀直哉も『嵐が丘』を褒めて、こう言っている。
「最近読んだものではこの本に一番感心した。(中略)これはエミリ・ブロンテが三十歳で亡くなる二年前に出版した生涯に唯一冊の小説である。若い女が書いたとは思はれないやうな厳しい味のものである。」(「『嵐が丘』について」『志賀直哉全集 第十一巻』岩波書店)
生涯にたった一編の小説を書いて死んだ。それが世界文学の至宝となった。エミリー・ブロンテは、そういう奇跡的な偉業をなしとげた女性で、彼女の短い人生は、人生の価値とか意味とかいったことを考えさせる。
(2015年7月30日)




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