7月28日は、音楽家の大瀧詠一が生まれた日(1948年)だが、米国の大統領夫人ジャクリーン・ケネディの誕生日でもある。駐日米国大使キャロライン・ケネディの母親である。

ジャクリーン・リー・ブーヴィエは、1929年、米国ニューヨークで生まれた。父親はフランス、スコットランド、イングランドなどの系統を受け継ぐ株式仲買人で、母親はアイルランド系で、ジャッキーの母方の祖父は銀行の頭取だった。彼女が11歳のとき、両親が離婚し、母親はスタンダード石油の跡取りと再婚して、2人の異父きょうだいが生まれた。
裕福な環境に育ったジャッキーは、早くから馬に乗り、乗馬を終生の趣味とした。
ニューヨークやマサチューセッツ、仏国パリ大学など、各地の大学で学んだ彼女は、22歳のとき、ワシントンDCの大学でフランス文学を修めて卒業。卒業後は「ワシントン・タイムズ・ヘラルド」紙と契約し、街で会った人の写真を撮り、その人のコメントとともに載せるというカメラマンの仕事をしていた。
22歳のとき、ジャッキーはディナー・パーティーで、当時上院議員選の準備中だったジョン・ケネディ下院議員と知り合い、翌年、23歳で結婚した。彼女の名前は、ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディとなった。
夫ジョン・ケネディが、1961年に米大統領に就任すると、彼女は大統領夫人となったが、31歳の彼女の若さ、華やかさは歴代ファーストレディのなかでも群を抜いていた。ジャッキーはホワイトハウスを改革し、家族用スペースにキッチンや子ども部屋を作り、公務用スペースの家具や調度品を伝統的な米国風でそろえ、ホワイトハウスのガイドブックを出版し、マスコミに内部を公開した。彼女はホワイトハウスを、みんなが誇りに思い、みんなが見に来たくなる場所へと造り替えた。
外遊先のメキシコやフランスなどでは、ジャッキーはその国のことばでスピーチし大歓迎を受けた。米大統領夫妻が訪仏した際、パリの新聞はこう書きたてた。
「彼女はひとり男を連れてきた」
ジョン・ケネディ大統領は笑ってこう応じた。
「わたしはジャクリーン・ケネディのお供でパリにきた男だ。お供は楽しかったよ!」(I am the man who accompanied Jacqueline Kennedy to Paris and I have enjoyed it!)
1963年11月、テキサス州ダラスの通りをオープンカーでパレード中、ケネディ大統領はライフル銃で狙撃された。となりに乗っていたジャッキーは、大統領が頭部を撃たれると、クルマの後部に身を乗りだした。銃撃でふき飛んだ夫の頭蓋骨を拾うためだった。
34歳で未亡人となったジャッキーには、長女キャロライン、長男ジョン・ジュニア、ふたりの子どもが残された。38歳のとき、亡き夫の弟ロバート・ケネディが暗殺されると、つぎは自分の子かもしれないと、米国離脱を決心。39歳のとき、当時、世界一の金持ちと言われたギリシアの海運王アリストテレス・オナシスと結婚した。彼女の名前は、ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシスとなった。
オナシスが1975年3月に没し、ジャッキーは45歳にしてふたたび未亡人となった。その後、彼女は編集者となり、ゴシップ・ジャーナリズムに追われながら出版活動をつづけた。そして1994年5月、悪性リンパ腫により、ニューヨークで没した。64歳だった。

ジャッキーは世界最強国の上流階級。自分から見ると別世界の住人である。彼女は知性と美貌を兼ね備え、世界一の権力者と世界一の富豪の両方を手に入れた。しかし、その生涯は悲劇的な場面が多かった。美しさのなかに、人生を生き抜く強さを秘めた人だった。
(2015年7月28日)



●おすすめの電子書籍!

『映画の英語名ゼリフ』(金原義明)
英語映画の名作から、元気になる名ゼリフ、癒される名文句の数々をピックアップして原語(英語)を解説。英語ワンポイン・レッスンを添えた新スタイルの映画紹介。「アナと雪の女王」「ハリー・ポッター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ブレードランナー」「燃えよドラゴン」「ローマの休日」「シェーン」「カサブランカ」「風と共に去りぬ」などなど歴代の名作が目白押し。これだけは聞き取りたいという輝く英語フレーズが満載。これであなたも映画英語の通人。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com