7月3日は、チェコの作曲家、ヤナーチェクが生まれた日(1854年)だが、チェコ出身のドイツ語作家、フランツ・カフカの誕生日でもある。
フランツ・カフカは、1883年、チェコのプラハで生まれた。両親ともにユダヤ人で、父親はたくさん人を雇い、繁盛している小間物商だった。フランツは6人きょうだいのいちばん上の子だった。
18歳で、フランツは大学に入学した。父親の意向にしたがい、いやいや法律学を専攻したが、この大学時代、彼は終生の友人となるマックス・ブロートと出会った。
23歳で法律の博士号を得たカフカは、裁判所で法律の実習をし、生命保険会社に勤めた後、25歳のとき、半官半民の労災保険局に就職。比較的時間に余裕のある仕事であったこともあって、彼は勤めながら、小説を書いた。
29歳のとき出会った女性と恋に落ち、これとほぼ時期を同じくして、自分は生きられるにもかかわらず生きていないという意識に目覚め、猛烈な勢いで『判決』『火夫』『変身』などを矢継ぎ早に書き、短編集『観察』を出版した。
恋人とは、その後5年間にわたって、婚約し、婚約破棄し、また婚約するという関係を続けた後、34歳のとき、結核を発病して喀血し、二度目の婚約を破棄した。
36歳のとき、べつの女性と婚約したが、その後になって夫をもつ既婚女性と恋愛関係におちいり、婚約を破棄した。
1924年6月、咽頭結核により、没。41歳になる1カ月前だった。
カフカは机の引きだしに、親友マックス・ブロート宛ての遺言を残していて、自分の書いた原稿、日記、手紙をすべて、読まずに焼却してくれるようブロートに頼んでいた。しかし、この親友は遺言に背き、カフカの文章を整理して世に出した。そうして、カフカは20世紀最大の文学者のひとりと目されるようになった。
「カフカ」とは、チェコ語でカラスの一種を意味するそうだ。カフカの作品は、黒い謎めいた、なんともいえない強烈な魅力をもっている。一度その魅力を知ってしまうと、もう生涯忘れられない。
はじめて自分が読んだカフカの小説は『変身』だった。
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。」(高橋義孝訳『変身』新潮文庫)
この有名な冒頭の一文の衝撃を忘れられない。
カフカといえば、不条理な話で有名で、それは端的に言えば、自分のために作られたドアがあるのだけれど、そのドアのノブをつかもうとすると、その前にいろいろな邪魔があって、ついにドアにたどりつけない、といったものである。不到達である。
カフカの年譜を見ると、この不条理は彼の人生そのものだという気がする。彼の人生は、恋愛面に関して見れば、婚約と婚約破棄の繰り返しである。何度も婚約しながら、ついに結婚にたどりつかない。カフカは自作を、自分の内面生活を描きだしたものだと言っているが、彼の恋愛生活は、まさにカフカ的だったと言っていいと思う。
カフカはベンジャミン・フランクリンの自伝を読んで言ったそうだ。
「アメリカ人は健康で楽観的だ。だからわたしはかれらが好きだ」(リチャード・ブローディガン著、藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』晶文社)
(2015年7月3日)
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フランツ・カフカは、1883年、チェコのプラハで生まれた。両親ともにユダヤ人で、父親はたくさん人を雇い、繁盛している小間物商だった。フランツは6人きょうだいのいちばん上の子だった。
18歳で、フランツは大学に入学した。父親の意向にしたがい、いやいや法律学を専攻したが、この大学時代、彼は終生の友人となるマックス・ブロートと出会った。
23歳で法律の博士号を得たカフカは、裁判所で法律の実習をし、生命保険会社に勤めた後、25歳のとき、半官半民の労災保険局に就職。比較的時間に余裕のある仕事であったこともあって、彼は勤めながら、小説を書いた。
29歳のとき出会った女性と恋に落ち、これとほぼ時期を同じくして、自分は生きられるにもかかわらず生きていないという意識に目覚め、猛烈な勢いで『判決』『火夫』『変身』などを矢継ぎ早に書き、短編集『観察』を出版した。
恋人とは、その後5年間にわたって、婚約し、婚約破棄し、また婚約するという関係を続けた後、34歳のとき、結核を発病して喀血し、二度目の婚約を破棄した。
36歳のとき、べつの女性と婚約したが、その後になって夫をもつ既婚女性と恋愛関係におちいり、婚約を破棄した。
1924年6月、咽頭結核により、没。41歳になる1カ月前だった。
カフカは机の引きだしに、親友マックス・ブロート宛ての遺言を残していて、自分の書いた原稿、日記、手紙をすべて、読まずに焼却してくれるようブロートに頼んでいた。しかし、この親友は遺言に背き、カフカの文章を整理して世に出した。そうして、カフカは20世紀最大の文学者のひとりと目されるようになった。
「カフカ」とは、チェコ語でカラスの一種を意味するそうだ。カフカの作品は、黒い謎めいた、なんともいえない強烈な魅力をもっている。一度その魅力を知ってしまうと、もう生涯忘れられない。
はじめて自分が読んだカフカの小説は『変身』だった。
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。」(高橋義孝訳『変身』新潮文庫)
この有名な冒頭の一文の衝撃を忘れられない。
カフカといえば、不条理な話で有名で、それは端的に言えば、自分のために作られたドアがあるのだけれど、そのドアのノブをつかもうとすると、その前にいろいろな邪魔があって、ついにドアにたどりつけない、といったものである。不到達である。
カフカの年譜を見ると、この不条理は彼の人生そのものだという気がする。彼の人生は、恋愛面に関して見れば、婚約と婚約破棄の繰り返しである。何度も婚約しながら、ついに結婚にたどりつかない。カフカは自作を、自分の内面生活を描きだしたものだと言っているが、彼の恋愛生活は、まさにカフカ的だったと言っていいと思う。
カフカはベンジャミン・フランクリンの自伝を読んで言ったそうだ。
「アメリカ人は健康で楽観的だ。だからわたしはかれらが好きだ」(リチャード・ブローディガン著、藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』晶文社)
(2015年7月3日)
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