6月27日は、「奇跡の人」ヘレン・ケラーが生まれた日(1880年)だが、女性活動家エマ・ゴールドマンの誕生日でもある。

エマ・ゴールドマンは、1869年、リトアニアのカウナスで生まれた。一家はユダヤ系で、エマの母親は前夫とのあいだにもうけた二人の娘を連れての再婚だった。再婚して、最初に誕生したのがエマで、彼女の下に弟が3人いた。
エマの父親は、子どもが言うことを聞かないとすぐに暴力をふるう男で、子どものなかでもとくに反抗的だったエマに対してはムチも使ったという。エマは後年、この父親の暴力を、夫婦仲の不和からくる性的な欲求不満が原因だと分析している。
エマの父親は、妻の所持金を投資して大穴をあけ、一家の家計は傾いた。一家は、エマが7歳のとき、プロシアへ引っ越し、13歳のとき、ロシアのサンクトペテルブルグへ移った。エマは学校へ行かせてほしいと父親に訴えたが、父親は、女は家庭にいるべきで、教育など必要ないとして、娘を下着屋で働かせ、15歳で結婚させようとした。エマは愛のない結婚はいやだと拒絶したが、それでも、ロシア軍人の求婚者たちと無理やり引き合わせられ、男たちのなかには彼女をホテルへ連れ込み暴行した者もいた。
15歳のとき、エマは父親から逃れ、異父姉といっしょに米国へ渡った。
縫製工場で働きだしたエマは、しだいに階級闘争に目覚めていった。
20歳のころには、アナキストの活動家として、労働者の集会出で演説するようになっていた。労働争議を応援し、スト破りする者を殺害しようとして未遂に終わり、投獄されたこともあった。また、仲間とともに機関紙を発行し、女性の自由を訴え、社会の矛盾を糾弾する論陣を張った。
その後も、労働運動や反戦運動のために逮捕、投獄されたエマは、50歳のとき、米国から国外追放処分にあった。エマはソビエト連邦へ身を寄せ、その後、英国、仏国、カナダへと渡り、67歳のときには、内戦の勃発したスペインへ渡り、フランコ政権に抵抗するアナキストたちを支援した。
1940年5月、カナダのトロントで脳卒中のため没した。70歳だった。
強烈なアナキスト兼フェミニストの生涯だった。

エマ・ゴールドマンの生涯は、まさに世界をまたにかけた活躍で、痛烈である。
東欧の貧しい境遇に育ったユダヤ人の一少女が、米国と欧州を広く駆けめぐって生きた。その影響は、西洋にとどまらず、日本にも影響を与えた。彼女が米国で開いた、大逆事件(幸徳秋水らを処刑した事件)に対する抗議集会は、日本政府をあわてさせ、彼女が書いた論文は、伊藤野枝に啓示を与え、日本の女性解放運動に刺激を与えた。

ゴールドマンの文章は、辛辣で刺激的な表現に富んでいる。
「結婚は元来経済的の取り極めであり、保険の契約の如きものである。普通の生命保険の契約と違ふところは、ただそれが一層結合的で精確だと云ふにとどまつてゐる。その払ひ戻しは掛金に比べてお話しにならない程僅少である」(伊藤野枝訳『結婚と恋愛』)

「一般の娘等は大抵幼少から結婚が彼女の最終目的であると語られる。だから彼女の訓練と教育とはその目的に向つて導かれなければならない。口のきけない動物が屠殺の為めに肥らせられるやうに、彼女はその為めに用意される」(同前)
(2015年6月27日)



●おすすめの電子書籍!

『大人のための世界偉人物語』(金原義明)
世界の偉人たちの人生を描く伝記読み物。エジソン、野口英世、ヘレン・ケラー、キュリー夫人、リンカーン、オードリー・ヘップバーン、ジョン・レノンなど30人の生きざまを紹介。意外な真実、役立つ知恵が満載。人生に迷ったときの道しるべとして、人生の友人として。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com