6月8日は、歌手ボズ・スキャッグスが生まれた日(1944年)だが、独国の音楽家、シューマンの誕生日でもある。胃薬のCMに使われたピアノ曲「トロイメライ」の作曲家である。
ロベルト・アレクサンダー・シューマンは、1810年、独国のツヴィッカウで生まれた。父親は出版の発行人で、ロベルトは5人きょうだいの末っ子だった。
7歳のころにはすでに作曲をはじめていたというロベルトは、音楽の勉強をしつつも、大学は法学部に進んだ。その後、ピアニストとなろうと決心し、20歳のころ、本格的にピアノのレッスンを受けはじめた。が、練習のしすぎか、あるは疾患のためか、指に不具合ができて、ピアニスト志望を断念。作曲家、音楽評論家へと転身した。
音楽雑誌の編集をし、音楽評論の筆をふるう一方で、管弦楽、協奏曲、交響曲など幅広いジャンルでさまざまな楽曲を作曲した。
30代のころから精神に異常をきたし、しだいに幻聴、幻覚などの症状がでてきた。
43歳のとき、橋の上からライン川へ投身自殺をはかった。船人にすくい上げられ、一命をとりとめたシューマンは、精神病棟に入れられた。
シューマンには、30歳のときに結婚したピアニストの妻クララがいたが、クララ夫人はなかなか面会が許されず、ようやく面会できたときには、シューマンは妻と認めたものの、もはや会話はできなかった。その面会の2日後、シューマンは息を引きとった。1856年7月のことで、シューマンは46歳だった。
シューマンの没後、クララ未亡人は、亡き夫の曲をメニューに入れた演奏会を開催して、夫の作品を世に知らしめるべく努力をした。一説によると、クララ未亡人と、シューマンがひきたてていた後輩の音楽家ブラームスの二人は、シューマンが晩年に書いた、明らかに精神異常の影響が出ているひどい楽譜をひそかに処分したとも言われる。
おそらく耳鳴りなのだろうけれど、いつのころからか、シューマンの耳には或る音が聞こえるようになっていて、その音が、彼には天使の音楽に聞こえたという。
あるいは、夜中、シューマンの目の前に、幽霊が現れ、ある音楽の主題を書き取れと、彼に命じてくる、そんな夢とも幻覚ともつかないものを見たらしい。その主題は、じつはシューマンが弦楽四重奏曲などで使った主題だったらしいが、とにかく、そうやって、彼の耳にはよく「ロマンの音」が鳴っていたのだろう。
シューマンの精神異常の原因ははっきりとはわかっていないらしい。若いころにかかった梅毒説、あるいは、梅毒治療のために用いた水銀の副作用説、また、脳腫瘍説がある。
シューマンは、ホフマンなどドイツ・ロマン主義文学に影響を受けた、音楽のロマン派である。「ロマン主義」を「浪漫主義」と訳したのはたしか夏目漱石で、「伝奇主義」と訳したのが森鴎外だった。鴎外の訳語のほうが、その意味はわかりやすいと思う。
シューマンは「ロマン派のなかでも、もっともロマティック」と言われる。彼の生涯を振り返ってみると、ロマンティックというのは、やはり狂気と縁があるのだろうなあ、とわかる。シューマンの交響曲第3番「ライン」を聴くと、自分など、やは人間はすこし狂気が入っていないとおもしろくない、そんな気がしてくる。
(2015年6月7日)
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ロベルト・アレクサンダー・シューマンは、1810年、独国のツヴィッカウで生まれた。父親は出版の発行人で、ロベルトは5人きょうだいの末っ子だった。
7歳のころにはすでに作曲をはじめていたというロベルトは、音楽の勉強をしつつも、大学は法学部に進んだ。その後、ピアニストとなろうと決心し、20歳のころ、本格的にピアノのレッスンを受けはじめた。が、練習のしすぎか、あるは疾患のためか、指に不具合ができて、ピアニスト志望を断念。作曲家、音楽評論家へと転身した。
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30代のころから精神に異常をきたし、しだいに幻聴、幻覚などの症状がでてきた。
43歳のとき、橋の上からライン川へ投身自殺をはかった。船人にすくい上げられ、一命をとりとめたシューマンは、精神病棟に入れられた。
シューマンには、30歳のときに結婚したピアニストの妻クララがいたが、クララ夫人はなかなか面会が許されず、ようやく面会できたときには、シューマンは妻と認めたものの、もはや会話はできなかった。その面会の2日後、シューマンは息を引きとった。1856年7月のことで、シューマンは46歳だった。
シューマンの没後、クララ未亡人は、亡き夫の曲をメニューに入れた演奏会を開催して、夫の作品を世に知らしめるべく努力をした。一説によると、クララ未亡人と、シューマンがひきたてていた後輩の音楽家ブラームスの二人は、シューマンが晩年に書いた、明らかに精神異常の影響が出ているひどい楽譜をひそかに処分したとも言われる。
おそらく耳鳴りなのだろうけれど、いつのころからか、シューマンの耳には或る音が聞こえるようになっていて、その音が、彼には天使の音楽に聞こえたという。
あるいは、夜中、シューマンの目の前に、幽霊が現れ、ある音楽の主題を書き取れと、彼に命じてくる、そんな夢とも幻覚ともつかないものを見たらしい。その主題は、じつはシューマンが弦楽四重奏曲などで使った主題だったらしいが、とにかく、そうやって、彼の耳にはよく「ロマンの音」が鳴っていたのだろう。
シューマンの精神異常の原因ははっきりとはわかっていないらしい。若いころにかかった梅毒説、あるいは、梅毒治療のために用いた水銀の副作用説、また、脳腫瘍説がある。
シューマンは、ホフマンなどドイツ・ロマン主義文学に影響を受けた、音楽のロマン派である。「ロマン主義」を「浪漫主義」と訳したのはたしか夏目漱石で、「伝奇主義」と訳したのが森鴎外だった。鴎外の訳語のほうが、その意味はわかりやすいと思う。
シューマンは「ロマン派のなかでも、もっともロマティック」と言われる。彼の生涯を振り返ってみると、ロマンティックというのは、やはり狂気と縁があるのだろうなあ、とわかる。シューマンの交響曲第3番「ライン」を聴くと、自分など、やは人間はすこし狂気が入っていないとおもしろくない、そんな気がしてくる。
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