5月29日は、米国の大統領ジョン・F・ケネディが生まれた日(1917年)だが、至上の歌手、美空ひばりの誕生日でもある。

美空ひばりは、1937年、横浜で生まれた。本名は、加藤和枝。父親は、魚屋だった。
彼女は幼いころから歌が上手で、戦時中、出征する父親を送る壮行会で、6歳のひばりが歌うと、客たちがいっせいに泣き出したという。彼女の母親は、娘の才能を開花させるべく、ひばりの歌による慰問活動や、公演をおこない、娘を世に出すために尽力した。
NHKの「素人のど自慢」に出場し、「子どもらしくない」という理由で落とされたひばりは、10歳のころから漫談や音楽演奏の一座に前座歌手として加わり、全国各地を地方巡業してまわった。
11歳のころには、国際劇場などの大舞台に立つようになり、レコードデビュー。
12歳のとき、映画「悲しき口笛」に主演。シルクハットに燕尾服という扮装でひばりが歌う主題歌とともに映画も大ヒットし、国民的スターとなった。
以後、歌手として、映画、公演など幅広く活躍し、江利チエミ、雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれた。
20歳の年には、劇場でのショーの最中に、観客の少女に、顔に塩酸をかけられる事件があったが、奇跡的に顔に損傷は残らなかった。
50歳の年に、大腿骨骨頭壊死で入院。再起不能がささやかれたが、退院、リハビリに励み、足腰の痛みを抱えたまま、翌年の1988年、東京ドームのこけら落とし「不死鳥コンサート」のステージを務め、奇跡の復活を国民に印象づけた。
「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」「真赤な太陽」「愛燦燦」「川の流れのように」を歌ったディーバ(歌姫)は、1989年6月、肺炎により没した。52歳だった。

美空ひばりは風雅の人で、秀逸な和歌を詠んだ。
「我が胸に、人の知らざる泉あり
 つぶてをなげて乱したる君」(佐藤勢津子、小菅宏『姉・美空ひばりの遺言』KKベストセラーズ)
これは24歳のころに、俳優の小林旭のことを歌ったもので、当時、美空ひばりと小林旭はともに人気絶頂で、二人は1962年、ひばりが25歳の年に結婚した(後に離婚)。

某歌謡ショーのリハーサルのとき、歌手の近藤真彦が、舞台の袖で美空ひばりのリハーサルを惚れ惚れと聞いて、歌い終えた彼女に声をかけた。
「おばさん、歌、上手いねえ」
美空ひばりはこう言ってと喜んだという。
「真彦ちゃんに褒められちゃった」

その昔、ラジオでシンガーソングライターの山下達郎がしみじみと言っていた。
「やっぱり、美空ひばりさんみたいに、歌うために生まれてきた人っているんですね」

美空ひばりが着物姿で、ハンドマイクを片手にツイストを踊ったのを、自分はテレビで見たことがある。和服を着て、草履をはいて、あんなに粋にツイストを踊れる人は、世界中さがしても、彼女以外にいないと思う。
(2015年5月29日)



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