5月14日は、オーストラリア出身の映画女優ケイト・ブランシェットが生まれた日(1969年)だが、社会事業家ロバート・オーウェンの誕生日でもある。
ロバート・オーウェンは、1771年、英国、北ウェールズのニュータウンで生まれた。父親は馬具・金物商で、ロバートは、7人きょうだいの下から2番目だった。
彼は10歳のとき、スタンフォードの呉服屋へ丁稚奉公に出た。1年目は無給だが、2年目から給料が出る、住みこみ仕事の契約だった。そこでの3年間をふりだしに、オーウェンは、ロンドン、マンチェスターで服屋勤めをした後、紡績工場の共同経営者となり、19歳のときには、単独で人を雇い入れ、紡績工場を経営する経営者となっていた。
勤勉と工夫を重ね、オーウェンは、28歳のころには、ニューラナークにある大工場の共同経営者となり、やがて単独経営権を手にした。彼は工場労働者の給料を上げ、職場の環境と住居環境を整備し、子どもたちのために学校を造り、修学前の幼児のための学校も用意した。そうして、彼のニューラナークは業績がよく、労働環境もよいという、世界の工場経営のお手本となった。
無一文から大富豪となったオーウェンは、54歳のとき、私費を投じて、大西洋の向こうの米国インディアナ州で「ニュー・ハーモニー」というコミュニティーをはじめた。適度な労働と余裕のある人間らしい暮らし、教育と娯楽、そして教養にあふれた人たちとの社交など、人間が理想とする生活の要素が、ひとつコミュニティーのなかにそろっている。そんなオーウェン流のユートピアの実現だった。「ニュー・ハーモニー」は、全米に名を知られた有名人や知識人も参加し、鳴り物入りではじまった。しかし、殺到した希望者を拒まず入れたため、山師や志の異なる者が入って分裂し、彼のコミュニティーは2年ほどで空中分解。彼は英国へ引き上げた。
オーウェンは英国で社会活動、政治活動に邁進した後、1858年11月、故郷のニュータウンで没した。87歳だった。
自分は、オーウェンについて書かれた日本語の本はだいたい読んでいる。岩波文庫の『オウエン自叙伝』はいまでもときどき本棚から取り出す。オーウェンは、当時もいまも、自分がもっとも尊敬する人物のひとりである。
オーウェンの時代には、現代以上に労働者をすこしでも安くこき使おうとする経営者が多かった。経営者たちは、大人は言うに及ばず、子どもでも一日十時間以上働かせて平気でいた。国もそれを放置していた。また、企業を立ち上げたら、さっさと高く売って手を引く、そういう資本家も、現代同様に多かった。
けれども、オーウェンは、そうした金儲け主義を嫌い、子どもは働かせず、大人も8時間労働、よい環境に生活してこそ、生産性は上がる、という信念を貫き、「ブラック企業」「派遣切り」「社員使い捨て」の効率主義とはまったく正反対をゆく経営で、みごと大成功を収めた。そうして得た富で豪邸を建てるのでなく、社会のためにぶちまけた。
オーウェンほどえらい人はなかなかいない。彼は要するに、
「人間が人間を使い捨てにしない、みんなが人間らしい暮らしをする社会」
を目指した。世の中にはこういう実業家もいるのである。
(2015年5月14日)
●おすすめの電子書籍!
『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナス、ヨーガヴィル、ロス・オルコネスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を実際に訪ねた経験をもとに、その仕組みと生活ぶりを具体的に紹介する海外コミュニティー探訪記。人と人が暮らすとは、どういうことか?
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

ロバート・オーウェンは、1771年、英国、北ウェールズのニュータウンで生まれた。父親は馬具・金物商で、ロバートは、7人きょうだいの下から2番目だった。
彼は10歳のとき、スタンフォードの呉服屋へ丁稚奉公に出た。1年目は無給だが、2年目から給料が出る、住みこみ仕事の契約だった。そこでの3年間をふりだしに、オーウェンは、ロンドン、マンチェスターで服屋勤めをした後、紡績工場の共同経営者となり、19歳のときには、単独で人を雇い入れ、紡績工場を経営する経営者となっていた。
勤勉と工夫を重ね、オーウェンは、28歳のころには、ニューラナークにある大工場の共同経営者となり、やがて単独経営権を手にした。彼は工場労働者の給料を上げ、職場の環境と住居環境を整備し、子どもたちのために学校を造り、修学前の幼児のための学校も用意した。そうして、彼のニューラナークは業績がよく、労働環境もよいという、世界の工場経営のお手本となった。
無一文から大富豪となったオーウェンは、54歳のとき、私費を投じて、大西洋の向こうの米国インディアナ州で「ニュー・ハーモニー」というコミュニティーをはじめた。適度な労働と余裕のある人間らしい暮らし、教育と娯楽、そして教養にあふれた人たちとの社交など、人間が理想とする生活の要素が、ひとつコミュニティーのなかにそろっている。そんなオーウェン流のユートピアの実現だった。「ニュー・ハーモニー」は、全米に名を知られた有名人や知識人も参加し、鳴り物入りではじまった。しかし、殺到した希望者を拒まず入れたため、山師や志の異なる者が入って分裂し、彼のコミュニティーは2年ほどで空中分解。彼は英国へ引き上げた。
オーウェンは英国で社会活動、政治活動に邁進した後、1858年11月、故郷のニュータウンで没した。87歳だった。
自分は、オーウェンについて書かれた日本語の本はだいたい読んでいる。岩波文庫の『オウエン自叙伝』はいまでもときどき本棚から取り出す。オーウェンは、当時もいまも、自分がもっとも尊敬する人物のひとりである。
オーウェンの時代には、現代以上に労働者をすこしでも安くこき使おうとする経営者が多かった。経営者たちは、大人は言うに及ばず、子どもでも一日十時間以上働かせて平気でいた。国もそれを放置していた。また、企業を立ち上げたら、さっさと高く売って手を引く、そういう資本家も、現代同様に多かった。
けれども、オーウェンは、そうした金儲け主義を嫌い、子どもは働かせず、大人も8時間労働、よい環境に生活してこそ、生産性は上がる、という信念を貫き、「ブラック企業」「派遣切り」「社員使い捨て」の効率主義とはまったく正反対をゆく経営で、みごと大成功を収めた。そうして得た富で豪邸を建てるのでなく、社会のためにぶちまけた。
オーウェンほどえらい人はなかなかいない。彼は要するに、
「人間が人間を使い捨てにしない、みんなが人間らしい暮らしをする社会」
を目指した。世の中にはこういう実業家もいるのである。
(2015年5月14日)
●おすすめの電子書籍!
『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナス、ヨーガヴィル、ロス・オルコネスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を実際に訪ねた経験をもとに、その仕組みと生活ぶりを具体的に紹介する海外コミュニティー探訪記。人と人が暮らすとは、どういうことか?
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
