4月27日は、仏映画「男と女」の主演女優アヌーク・エーメが生まれた日(1932年)だが、歴史家エドワード・ギボンの誕生日でもある。
エドワード・ギボンは、1737年4月27日(ユリウス暦による)、英国のパトニーで生まれた。父親は荘園領主の政治家だった。エドワードには、6人のきょうだいがいたが、みんな幼くして死んでしまい、彼ひとりが残った。
裕福な資産家の子息として育ったエドワードは、子ども時代は病弱だったため、学校を途中でやめ、自宅にひきこもって、もっぱら歴史の古典を読んですごした。
15歳の年に、オクスフォード大学に入学。
16歳のとき、ロンドンでローマ・カトリックに改宗。これは一代決心があってのことで、当時の英国では、英国国教の信徒でないと、一般の教育機関には籍をおけない決まりだった。改宗が知れると、エドワードはただちに大学から追放された。
エドワードは、父のはからいでスイスのローザンヌのプロテスタントの牧師宅へ預けられた。そして、その地で今度は、プロテスタントに改宗した。
英国へもどったギボンは、23歳のとき、国民軍に参加。軍には2年半ほど所属した。
除隊後は、ヨーロッパ各地を旅行したり、土地や屋敷の整理をしたりしてすごした。
36歳のとき、『ローマ帝国衰亡史』の執筆をはじめ、37歳のとき、下院議員になった。
39歳になる年に、『ローマ帝国衰亡史』の第一巻出版。第一刷はたちまち売り切れとなり、増刷が続いた。
50歳のとき、『ローマ帝国衰亡史』の第四、五、六巻が刊行され、『衰亡史』完結。
自伝を書いた後、1794年1月、痛風や急性腹膜炎など他の病気を併発して没。56歳だった。
『ローマ帝国衰亡史』は、その題名の通り、あの長い歴史をもつ巨大なローマ帝国が、いかに衰え、滅亡していったかをテーマに書き進められた歴史書である。だから、ローマ帝国の歴史のはじめからを扱っているわけではなく、途中の、ローマ帝国の領土が最大だった五賢帝の時代から書きだされ、帝国が衰亡していく兆候をさぐっている。だから、『衰亡史』には、その前の時代のキケロとかカエサルとかは出てこない。
小さいときから歴史書を耽読していたギボンにしてみれば、カエサルの時代など書きたかったろうと思う。でも、彼が据えたテーマは「いかにローマは衰亡したか」だったのであり、「ローマ帝国通史」ではない。だから、不要なカエサルの時代は書かなかった。
この素材選択に、自分などは、ギボンが物語作者ではなくて、歴史学者だったことを強く感じる。
ギボンがローマを訪れたのは27歳のときで、後年、彼はそのときをこう振り返っている。
「元来私はあまり熱狂に動かされない性質であり、そして自分が実際に体験しない熱狂を気取ることを今まで常に軽蔑してきた。しかし二十五年を経た今日なお私は、自分が初めて永遠の都へ近づいてそこへ足を踏み入れた時に私の心を揺さぶった、あの強烈な感激を忘れることも表現するすべも知らない。寝つけない一夜を明かした翌日、私は昂然たる歩度でフォールムの遺跡を踏んだ。その昔ロムルスが立ちキケロが弁じカエサルが倒れた一つ一つの記憶すべき場所が、直ちに私の目に焼きついた」(中野好之訳『ギボン自伝』ちくま学芸文庫)
(2015年4月27日)
●おすすめの電子書籍!
『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナス、ヨーガヴィル、ロス・オルコネスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を実際に訪ねた経験をもとに、その仕組みと生活ぶりを具体的に紹介する海外コミュニティー探訪記。人と人が暮らすとは、どういうことか?
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

エドワード・ギボンは、1737年4月27日(ユリウス暦による)、英国のパトニーで生まれた。父親は荘園領主の政治家だった。エドワードには、6人のきょうだいがいたが、みんな幼くして死んでしまい、彼ひとりが残った。
裕福な資産家の子息として育ったエドワードは、子ども時代は病弱だったため、学校を途中でやめ、自宅にひきこもって、もっぱら歴史の古典を読んですごした。
15歳の年に、オクスフォード大学に入学。
16歳のとき、ロンドンでローマ・カトリックに改宗。これは一代決心があってのことで、当時の英国では、英国国教の信徒でないと、一般の教育機関には籍をおけない決まりだった。改宗が知れると、エドワードはただちに大学から追放された。
エドワードは、父のはからいでスイスのローザンヌのプロテスタントの牧師宅へ預けられた。そして、その地で今度は、プロテスタントに改宗した。
英国へもどったギボンは、23歳のとき、国民軍に参加。軍には2年半ほど所属した。
除隊後は、ヨーロッパ各地を旅行したり、土地や屋敷の整理をしたりしてすごした。
36歳のとき、『ローマ帝国衰亡史』の執筆をはじめ、37歳のとき、下院議員になった。
39歳になる年に、『ローマ帝国衰亡史』の第一巻出版。第一刷はたちまち売り切れとなり、増刷が続いた。
50歳のとき、『ローマ帝国衰亡史』の第四、五、六巻が刊行され、『衰亡史』完結。
自伝を書いた後、1794年1月、痛風や急性腹膜炎など他の病気を併発して没。56歳だった。
『ローマ帝国衰亡史』は、その題名の通り、あの長い歴史をもつ巨大なローマ帝国が、いかに衰え、滅亡していったかをテーマに書き進められた歴史書である。だから、ローマ帝国の歴史のはじめからを扱っているわけではなく、途中の、ローマ帝国の領土が最大だった五賢帝の時代から書きだされ、帝国が衰亡していく兆候をさぐっている。だから、『衰亡史』には、その前の時代のキケロとかカエサルとかは出てこない。
小さいときから歴史書を耽読していたギボンにしてみれば、カエサルの時代など書きたかったろうと思う。でも、彼が据えたテーマは「いかにローマは衰亡したか」だったのであり、「ローマ帝国通史」ではない。だから、不要なカエサルの時代は書かなかった。
この素材選択に、自分などは、ギボンが物語作者ではなくて、歴史学者だったことを強く感じる。
ギボンがローマを訪れたのは27歳のときで、後年、彼はそのときをこう振り返っている。
「元来私はあまり熱狂に動かされない性質であり、そして自分が実際に体験しない熱狂を気取ることを今まで常に軽蔑してきた。しかし二十五年を経た今日なお私は、自分が初めて永遠の都へ近づいてそこへ足を踏み入れた時に私の心を揺さぶった、あの強烈な感激を忘れることも表現するすべも知らない。寝つけない一夜を明かした翌日、私は昂然たる歩度でフォールムの遺跡を踏んだ。その昔ロムルスが立ちキケロが弁じカエサルが倒れた一つ一つの記憶すべき場所が、直ちに私の目に焼きついた」(中野好之訳『ギボン自伝』ちくま学芸文庫)
(2015年4月27日)
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