8月3日は、ファッションデザイナーのアン・クラインが生まれた日(1923年)だが、「プロレスの神様」カール・ゴッチの誕生日でもある。子どものころ、プロレスファンだった自分のヒーローのひとりがカール・ゴッチだった。

カール・ゴッチは、1924年、ベルギーのアントワープで生まれた。本名はカール・イスターツ。一家はドイツのハンブルクへ引っ越し、カールはそこで育った。
レスラーを志したカールは、アマチュア・レスリングのグレコローマンと、フリースタイルの両分野でベルギーチャンピオンとなり、24歳のとき、ベルギー代表選手としてロンドン・オリンピックに出場した。
27歳のころ、英国イングランドのランカシャー地方にあるビリー・ライレー・ジムを訪ね、そこの師範代とスパーリング(練習試合)をおこなった。すると、ものの1分ほどで赤子の手をねじるようにフォールド(からだを固定されること)を決められてしまい、そのジムに入門することを決意した。このジムはランカシャー・レスリングの中心で、このジム所属の男たちは倒されてもあきらめず執拗に攻撃してくるところから「へびの穴(Snake Pit)」と呼ばれていた。「へびの穴」で3年間をすごし、卒業したカールは、カナダをへて、35歳の年に米国へ進出。ドイツ人レスラーとしてデビューし、米国の名プロレスラーのフランク・ゴッチにあやかってリングネームを「カール・ゴッチ」とした。反則をしないクリーンで、きれのある正統派ストロングスタイルのプロレスラーとして活躍し、神技ジャーマン・スープレックス・フォールドを完成させた。
この技は、相手レスラーの背後にまわりこんだゴッチが、相手の胴体に腕をまわし、そのまま抱え上げ、いっしょに後ろへのけぞり、相手を抱えたままブリッジを決めるというもので、相手は後頭部をマットに打ちつけ、そのまま両肩をマットに押しつけられて、3カウントされるのだった。この技は、プロレスの芸術品と称される美技で、「ジャーマン(ドイツ人の)」は無論ゴッチのことである。
当時の世界王者「鉄人」ルー・テーズと何度も名勝負を繰り広げながら、ついにチャンピオンベルトを奪えず、ゴッチは「無冠の帝王」と呼ばれた。
44歳のとき、米国に帰化。日本にもたびたび来日し、力道山やアントニオ猪木らと試合をおこなった。日本ではプロレス・コーチとして日本人プロレスラーの指導にあたり、アントニオ猪木に卍固めを伝授した猪木の先生でもある。
2007年7月、米国フロリダ州のタンパで没した。82歳だった。

その昔「タイガーマスク」というマンガがあって、それは覆面プロレスラーのタイガーマスクが活躍する話だったけれど、タイガーマスクは「虎の穴」というプロレスラー養成所の卒業生だという設定だった。
「虎の穴」では、たとえば、体力をつけさせるためにコールタールのプールを泳がされ、忍耐力をつけるために吊り橋の下に逆さに吊るされ、挙げ句の果てには、猛スピードでまわるベルトコンベアの上を走らされ、その後ろで大きな電動丸のこぎりがまわっていて、すこしでもスピードが落ちると、のこぎりで真っ二つにされてしまうという訓練まであった。入門者の半分以上が死亡するという苛酷なジムだった。
テレビを見て子ども心に、世の中には怖いところもあるのだなあ、と思っていたけれど、そのモデルとなったのが、カール・ゴッチがいた「へびの穴」だった。原作の梶原一騎はゴッチの経歴を参考に、想像をふくらませたのだろう。
「へびの穴」では、もちろんマンガのような目茶苦茶なトレーニングはなかったろうけれど、かなり荒々しいものだったらしい。そうした訓練をへて後に、あのゴッチのきれのある美技があると思うと、感慨深いものがある。
(2014年8月3日)


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