6月15日は、服飾デザイナー、小篠綾子が生まれた日(1913年)だが、精神分析家、エリク・エリクソンの誕生日でもある。「アイデンティティ」の語を使った人である。

エリク・エリクソンは、エリク・サロモンセンとして1902年にドイツのハンブルクで生まれた。その出生には少々いわくがあった。
彼の母親はもともとデンマークのコペンハーゲンに暮らす有名なユダヤ系一族の一員で、以前はヴァルデマール・サロモンセンという株式仲買人と結婚していた。しかし、夫と離れていた時期にべつの男性と関係をもち、妊娠した。お腹に宿った子、それがエリクだった。不倫相手である彼の父親については、デンマーク人のキリスト教徒らしい以上のことはよくわからないらしい。母親はドイツのフランクフルトへ逃げてきて、そこでエリクを生んだ。母親は看護師の訓練を受け、カールスルーエに引っ越した。エリクが3歳のときに、母親はユダヤ人の小児科医テオドール・ホーンブルガーと結婚した。
エリクは6歳のとき、正式に養子になり、名前がエリク・ホーンブルガーに変わった。
エリクは背の高い、ブロンドの髪、ブルーの瞳をもった少年だった。彼は教会へ行くと「北欧人」といじめられ、学校へ行くと「ユダヤ人」と差別された。出生について両親は秘密を通したため、彼は自分のアイデンティティ(自己同一性)について悩んだ。
ギムナジウム卒業後は、養父の希望にしたがって、医学の学校に進んだが、画家志望だったエリクはすぐに中退して、友だちといっしょにドイツやイタリアを放浪した。
いっしょに旅をした友人の紹介で、エリクは25歳のとき、ウィーンの実験的な学校の教師をするようになった。そこは、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトの娘アンナ・フロイトのクライエントの子女が通う学校だった。アンナにすすめられ、エリクはウィーン精神分析研究所に入った。児童心理学や精神分析学、モンテッソリ教育法について学び、31歳で終了証書を取得。この卒業証書が、エリクが生涯で取得した資格のすべてだった。
研究所卒業の年は、ヒトラーがドイツ首相になった年で、フロイトの著作は焚書になった。カナダ人のダンサーと結婚し、キリスト教に改宗したエリクは、米国へ逃れた。
エリクは、マサチューセッツ州ボストンの最初の児童精神分析医師となり、病院やハーヴァード大学の医学学校に勤務した。クライエントを診、教鞭をとり、34歳でイェール大学に移り、米国に帰化した。その際、姓を「エリクソン」に変え「エリク・ホーンブルガー・エリクソン」になった。
エリクソンはその後、カリフォルニア大学をへて、ふたたびハーヴァード大学にもどり、児童心理学、人間の発達について研究した後、68歳で同大学の教授職から引退した。
1994年5月、エリクソンはマサチューセッツ州のコッド岬で没した。91歳だった。

エリクソンは「エゴ・アイデンティティ(自我同一性)」という語に、ちゃんとした定義を与えていないらしい。「セルフ・アイデンティティ(自己同一性)」と言っても同じで、これは大雑把にいえば「自分は同一である」という意識をもつことである。自我の発達段階を、フロイトが性的にとらえたのに対し、エリクソンは社会的にとらえようとした。
まず「自分はほかの誰でもない独自の存在である」という主体的な意識。
つぎに「社会や時代が変わっても自分は自分である」という連続性の認識。
さらに「自分のいる社会を認め、それと折り合いをつけていこう」とする集団帰属意識や社会受容感。これらをひとつにまとめたのが「アイデンティティ」で、自分のなかでちゃんとまとめ、統合することが大切になる。統合できず、拡散してしまうと、
「自分がほんとうにやりたいことがわからない」
といった状態になる。エリクソン自身もずいぶん悩んだようだけれど、わが身を振り返ってみても、アイデンティティの統合はむずかしい、人生の難題だと思う。
(2014年6月15日)


●おすすめの電子書籍!

『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』(キャスリーン・キンケイド著、金原義明訳)
米国ヴァージニア州にあるコミュニティー「ツイン・オークス」の創成期を、創立者自身が語る苦闘と希望のドキュメント。彼女のたくましい生きざまが伝わってくる好著。原題は『ウォールデン2の実験』。B・F・スキナーの小説『ウォールデン2』に刺激を受けた著者は、仲間を集め、小説中のコミュニティーを現実に作って見せたのである。

●電子書籍なら明鏡舎。
http://www.meikyosha.com