5月12日は、思想家、クリシュナムルティが生まれた日(1895年)だが、作家の武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の誕生日でもある。
自分は中学のとき、武者小路の「人生論」の感想文を書いて、クラス代表になり、全校生徒の前で感想文を朗読したことがある。校長先生にほめられた。

武者小路実篤は、1885年、東京で生まれた。藤原家の系統をひく子爵の息子で、実篤は8番目の子だった。
小中高と学習院をへて、東京帝国大学に入学。学習院のころから文学の同志だった志賀直哉と同人誌をはじめ、東大を中退して作家を目指した。25歳のとき、志賀直哉、有島武郎らとともに同人誌「白樺」を創刊。これにより彼らは「白樺派」と呼ばれる文学一派となった。
白樺派は青年らしい理想主義の文学一派だった。当時、文壇の主流派だった自然主義の作家たちから、甘やかされたお金持ちの坊ちゃんたちの遊びとからかわれ、この矢面に立って、もっともはげしく論戦をしたのが武者小路であり、彼は白樺派の大黒柱だった。
33歳のころ、理想郷建設を目指して、九州、宮崎県の木城村に「新しき村」を建設。
54歳のとき、「新しき村」は埼玉県の毛呂山町へ移転。現在も続いている。
戦後は一時、貴族院の議員になったが、戦時中に戦争協力したとして公職追放を受けた。文化勲章を受賞した後、1976年4月、東京都の入院先で、尿毒症のため没した。90歳だった。
作品に『お目出たき人』『幸福者』『友情』『愛と死』『真理先生』などがある。

ナスとカボチャを描き、
「仲良きことは美しき哉 実篤」
と書いた色紙の複製を、自分ももっている。

自分は、米国のコミュニティーの研究していた関係で、以前、つてを頼って埼玉の新しき村を訪ねたことがある。カレーをごちそうになり、90歳すぎの古株のメンバーのお宅におじゃまして、いろいろ話を聞いた。これくらい古株の方になると、生前の武者小路をよく知っていて、その方の奥さんも、
「武者小路さんは、新しき村を作ったのだけれど、村にお金を入れるために街で原稿を書いていて、自分は村には住めなかったのよ」
と笑っていらした。

新しき村は、効率だとか競争だとかいう資本主義的なことを追求しないで、働きながら余暇を大事にして、文化的なたしなみをもち、生活を楽しむという理想的な生活を作っていこう、という理想主義のコミュニティーである。自分は実際に住人の方たちと接してみて、その教養レベルの高さに驚いた。しかも、彼らは文化的な生活を楽しみながら、世の中のためにと、できる範囲での慈善奉仕を実行していた。

外国のコミュニティーの人たちに日本のコミュニティーを紹介するとき、もっともウケがいいのが、この新しき村である。
亡くなったキャット(キャスリーン・キンケイド)も生前、新しき村の説明を聞くと、
「それはいいわねえ」
と言っていた。英語で説明したとき、ついまちがえて「美しき村」と説明してしまったけれど、途中で言いなおすのもめんどうで、そのままにしてしまった。自分としては「美しき村」のほうがしっくりくるので、つい「ビューティフル・ヴィレッヂ」と言ってしまうのである。

武者小路実篤は、文学者という肩書きにはおさまりきらない、姿の大きな人だったと思う。
(2014年5月12日)


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『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』(キャスリーン・キンケイド著、金原義明訳)
米国ヴァージニア州にあるコミュニティー「ツイン・オークス」の創成期を、創立者自身が語る苦闘と希望のドキュメント。彼女のたくましい生きざまが伝わってくる好著。原題は『ウォールデン2の実験』。B・F・スキナーの小説『ウォールデン2』に刺激を受けた著者は、仲間を集め、小説中のコミュニティーを現実に作って見せたのである。

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