3月6日は、至上の芸術家、ミケランジェロが生まれた日(1475年)だが、ノーベル賞作家、ガルシア=マルケスの誕生日でもある。
自分はマルケスがノーベル賞をとった後、いくつか彼の作品を読んだ。現実のとらえ方がおもしろく、欧米流の現実感覚よりしっくりきた。
ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスは、1928年、南米コロンビアのカリブ海沿岸の村アラカタカで生まれた。幼いころから祖母に民話、伝説、恐怖話などを聞かされて育ったマルケスは、4歳のころには、口を開けばでまかせの話を語りだすおしゃべりな子になっていた。家庭は貧しかったが奨学金を得、19歳でボゴタ大学の法学部に入学。このころ、フランツ・カフカの『変身』に触発されて、はじめて短編小説を書いた。
彼が20歳のとき、コロンビアでは野党党首の暗殺が引き金となって、ボゴタ暴動が起きた。それは内戦化して、ボゴタ大学が閉鎖された。マルケスはガクタヘーナの大学へ転学し、当地の新聞社で働きだした。以後、新聞社を転々として記事を書くかたわら、小説を書きつづけた。
27歳のとき、小説『落葉』出版。ただし、印税はまったく入らなかった。
その後、マルケスは新聞記者として、ヨーロッパを転々とした後、29歳のとき、南米へもどり、ベネズエラで雑誌編集にたずさわった。このとき内乱が起き、ベネズエラの独裁者だったヒメーネスが国外へ逃亡した。
30歳のとき、カストロやゲバラらによるキューバ革命が成り、独裁者バティスタが国外へ逃亡した。マルケスは記者としてキューバへ飛び、ハバナの革命裁判に出席した。
33歳のころ、マルケスはコロンビアの通信社のニューヨーク支局員として勤めた後、メキシコへ移り、知り合ったメキシコ人作家の誘いで映画制作にかかわった。そして、ある日、家族をクルマに乗せてアカプルコの海へ出かけた。行く途中、クルマのなかで、長いあいだ温めていた小説についてひらめいた。そうだ、小さいころに聞いた祖母の語り口のように書けばいいのだ、と。海水浴は中止。彼はクルマをUターンさせ、家へもどり、タイプライターを打ちはじめた。それから1年半打ちつづけて『百年の孤独』を書き上げた。この小説は発売されると、たちまちスペイン語圏で「ソーセージのように」売れた。『百年の孤独』は世界各国で翻訳され、マルケスは世界的作家となった。
47歳のとき、独裁者をテーマに据えた『族長の秋』を発表。
54歳のとき、マルケスはノーベル文学賞を受賞した。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』にはこんな描写が出てくる。死んだ登場人物の流した血が野を越え山を越え、延々と流れ流れていって、肉親の家に届き、その死を伝える。これなどは、泉鏡花が描く、悪い因縁のある振袖を燃やして処分しようとしたらそれが舞い上がって火を広め、江戸の大火事になったという描写に通じるところがあって、自分などにはとてもしっくりくる。
マルケスの「魔術的リアリズム」についてずっと昔、米国の雑誌のインタビューで、たしかマルケスはこういう意味のことを語っていた。
「中南米の国で、かつて国内に疫病が流行ったことがあった。そのとき独裁者は言った。『わたしはその原因を知っている。国内の街灯に赤いカバーが付いていないせいだ』。全国の街灯にいっせいに赤いおおいがつけられた。そんなことがしょっちゅうなんだ。それが南米の現実なんだ(自分のは、魔術的じゃなくて、中南米のリアリズムそのものなんだ)」
昨今の日本の社会や政治状況を見ていると、日本人はこの話をとても笑えないと思うけれど、どうだろう。
(2014年3月6日)
●おすすめの電子書籍!
『3月生まれについて』(ぱぴろう)
ミケランジェロ、ラヴェル、スティーブ・マックイーン、ジョン・アーヴィング、ゴッホ、周恩来、芥川龍之介、黒澤明など3月誕生の31人の人物論。人気ブログの元となった、より詳しく深いオリジナル原稿版。3月生まれの秘密に迫る。
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自分はマルケスがノーベル賞をとった後、いくつか彼の作品を読んだ。現実のとらえ方がおもしろく、欧米流の現実感覚よりしっくりきた。
ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスは、1928年、南米コロンビアのカリブ海沿岸の村アラカタカで生まれた。幼いころから祖母に民話、伝説、恐怖話などを聞かされて育ったマルケスは、4歳のころには、口を開けばでまかせの話を語りだすおしゃべりな子になっていた。家庭は貧しかったが奨学金を得、19歳でボゴタ大学の法学部に入学。このころ、フランツ・カフカの『変身』に触発されて、はじめて短編小説を書いた。
彼が20歳のとき、コロンビアでは野党党首の暗殺が引き金となって、ボゴタ暴動が起きた。それは内戦化して、ボゴタ大学が閉鎖された。マルケスはガクタヘーナの大学へ転学し、当地の新聞社で働きだした。以後、新聞社を転々として記事を書くかたわら、小説を書きつづけた。
27歳のとき、小説『落葉』出版。ただし、印税はまったく入らなかった。
その後、マルケスは新聞記者として、ヨーロッパを転々とした後、29歳のとき、南米へもどり、ベネズエラで雑誌編集にたずさわった。このとき内乱が起き、ベネズエラの独裁者だったヒメーネスが国外へ逃亡した。
30歳のとき、カストロやゲバラらによるキューバ革命が成り、独裁者バティスタが国外へ逃亡した。マルケスは記者としてキューバへ飛び、ハバナの革命裁判に出席した。
33歳のころ、マルケスはコロンビアの通信社のニューヨーク支局員として勤めた後、メキシコへ移り、知り合ったメキシコ人作家の誘いで映画制作にかかわった。そして、ある日、家族をクルマに乗せてアカプルコの海へ出かけた。行く途中、クルマのなかで、長いあいだ温めていた小説についてひらめいた。そうだ、小さいころに聞いた祖母の語り口のように書けばいいのだ、と。海水浴は中止。彼はクルマをUターンさせ、家へもどり、タイプライターを打ちはじめた。それから1年半打ちつづけて『百年の孤独』を書き上げた。この小説は発売されると、たちまちスペイン語圏で「ソーセージのように」売れた。『百年の孤独』は世界各国で翻訳され、マルケスは世界的作家となった。
47歳のとき、独裁者をテーマに据えた『族長の秋』を発表。
54歳のとき、マルケスはノーベル文学賞を受賞した。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』にはこんな描写が出てくる。死んだ登場人物の流した血が野を越え山を越え、延々と流れ流れていって、肉親の家に届き、その死を伝える。これなどは、泉鏡花が描く、悪い因縁のある振袖を燃やして処分しようとしたらそれが舞い上がって火を広め、江戸の大火事になったという描写に通じるところがあって、自分などにはとてもしっくりくる。
マルケスの「魔術的リアリズム」についてずっと昔、米国の雑誌のインタビューで、たしかマルケスはこういう意味のことを語っていた。
「中南米の国で、かつて国内に疫病が流行ったことがあった。そのとき独裁者は言った。『わたしはその原因を知っている。国内の街灯に赤いカバーが付いていないせいだ』。全国の街灯にいっせいに赤いおおいがつけられた。そんなことがしょっちゅうなんだ。それが南米の現実なんだ(自分のは、魔術的じゃなくて、中南米のリアリズムそのものなんだ)」
昨今の日本の社会や政治状況を見ていると、日本人はこの話をとても笑えないと思うけれど、どうだろう。
(2014年3月6日)
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