2月17日は、ノーベル文学賞を受賞した中国の文豪、莫言(モーイエン)が生まれた日(1955年)だが、夭逝した作家、梶井基次郎の誕生日でもある。
自分は、梶井基次郎の短編小説は、学生のころにいくつか読んだ。当時は、あまりピンとこず、それから長らく読まずにいた。三十代になってから、なにかの機会に読んでみると、今度はピンときて、感心した。

梶井基次郎は、1901年、大阪で生まれた。父親は貿易会社に務めていた。基次郎は6人きょうだいの3番目で、上に姉と兄がいた。
急性腎炎で死にかけるなど、小さいころから病弱だった基次郎は、父親の転勤にしたがって、東京、三重、ふたたび大阪と転校を繰り返しながら育った。
三高(現在の京大)時代には、後に評論家になる大宅壮一と同級で、強い刺激を受けた。
基次郎は、23歳で東大文学部の英文科に入り、仲間と同人誌を創刊し、川端康成など先輩作家たちと交際するようになった。梶井は、川端康成の『伊豆の踊子』の校正を手伝った。川端は梶井から鋭い指摘を受けて、狼狽したと書いている。
肺病をわずらい、血痰を吐いた梶井は27歳のとき、大学を中退。以後、経済的に困窮し、友人や兄弟の家に病身を寄せ、短編小説を同人誌などに発表しつづけた。
1932年2月、肺結核のため、大阪で没した。31歳だった。
作品は短編ばかりで、『檸檬』『城のある町にて』『雪後』『冬の日』『櫻の樹の下には』『交尾』などがある。

当時29歳だった川端康成の家に、27歳の梶井基次郎が泊まっていたとき、泥棒が入ったことがあって、そのときのことを川端が随筆に書いていた。うろ覚えの記憶で書くのだけれど、たしかこんな話だった。泥棒が部屋に入ってきたとき、川端は目が覚めてふとんに入ったまま、あのぎょろりとした目で、泥棒を見ていた。泥棒は、壁にかけてあったインバネスに手をかけた。川端は、あれをとられると困るな、と思っていたら、泥棒が振り向き、川端と目が合った。すると泥棒は、
「だめですか?」
とひとこと言って、逃げだした。川端は追いかけるつもりはなかったが、向こうが逃げるので、なんとなく追いかけてしまった、というようなことを書いていたと思う。で、追いかけるのをやめて帰ってみると、梶井基次郎はふとんをかぶって震えていたそうだ。このあたり、二人の資質のちがいがよく表れていておもしろいと思う。

桜の木の下には、馬や犬や猫や人間の死体が埋まっていて、その養分を根から吸い上げて、それであんなに桜は美しく咲くのだという妄想を作品化した『櫻の樹の下には』は有名だけれど、自分もあの感性にはぞっとさせられた。
でも、いったんそう言われてしまうと、なるほどと納得し、そうにちがいないという気がしてくる。あの短い作品は、短編小説というより、むしろ散文詩だ思う。

『山椒魚』を書いた井伏鱒二が絶賛したという『交尾』には、自分も感心した。夜の路地裏の猫とか、沢の河鹿ガエルの様子が頭のなかにありありと浮かんでくる。自分は、読んだ梶井作品のなかでは『交尾』がいちばん好きである。思いだすだけで、河鹿ガエルの鳴く声が聞こえてくるような気がする。
(2014年2月17日)



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