2月5日は、自動車タイヤで有名なダンロップが生まれた日(1840年)だが、自動車メーカー、シトロエンの創業者、アンドレ=ギュスターヴ・シトロエンの誕生日でもある。
シトロエンは昔から、自分のあこがれの車種のひとつだった。名前の響きに引かれ、あのおしゃれな流線型のデザインも好きだった。フランスの映画によく出てきて、なんだかシトロエンに乗ればジャンポール・ベルモンドになれるような気がした。

アンドレ=ギュスターヴ・シトロエンは、1878年、パリで生まれた。父親はユダヤ系のダイヤモンドの商人だった。アンドレは、5人きょうだいの末っ子だった。一家の苗字は元は「シトルーン」だったが、ネーデルランド(オランダ)から引っ越してきたときに、フランス風に「シトロエン」と改めた。パリへきて5年目にアンドレが生まれた。
ジュール・ベルヌの小説やエッフェル塔に刺激を受けたアンドレは、技術者を志した。
22歳で技術系の学校を卒業すると、彼は母親の故郷であるポーランドを旅した。そのとき、大工が自作の歯車を使っているのを見かけ、その歯車の効率のよさと、騒音のすくないのに感心した。シトロエンは大工にお金を払ってそのアイディアを買い取り、フランスへ帰って改良を加え、特許をとった。この歯車の合わせ目にあるくさび形の歯形が、現在のシトロエンのマークになった。
第一次世界大戦時には、兵器の生産に乗りだし、砲弾を大量に受注、生産して成功した。
戦後、41歳のとき、シトロエン自動車会社を設立。大衆車を大量に生産して、彼が54歳のころには、フランスで第1位、世界で第4位の自動車会社になった。
派手好みのシトロエンは、あのエッフェル塔を広告塔に使った。塔全体にシトロエンの文字の照明を付けて夜間広告塔とし、それを11年間続けた。その文字は40キロメートル離れた場所からも見えたという。
全盛を誇ったシトロエン社はその後、事業は急速に傾き、彼が56歳のとき経営破綻。会社再建にあたり、外部(ミシュラン)資本を受け入れ、彼は引退。1935年7月、胃ガンのため、没した。57歳だった。歯車から砲弾、自動車へと事業を発展させた事業家だった。

自分は、ギャンブル好きで、万事にわたって派手好み、拡大主義者で、堅実な事業家ではなかったと言われるアンドレ・シトロエンの生き方に共感を覚える。

自分はシトロエンに乗って、もう15年くらいになる。
ほんとうは、もっと古い、1960年代に上級車はド・ゴール政権時代の政府公用車だったころの美しい流線型のシトロエンがほしかったのだけれど、メインテナンスの苦労話を聞き、怖じ気づいた。それでベルトーネ・デザインの箱型大衆車になってしまった。

外車は古くなってくると、メインテナンスにお金がかかってつらい。
車検を通すのに、30万円かかったことがある。
しばらく前、ヒーターコアという部品が壊れ、12万円くらいかけて交換した。ディーラーでやれば、その3倍くらいかかったかもしれない。
つい先日も、ヘッドライトのバルブが切れ、新品を買ってきて自分で交換したのだが、むずかしかった。エンジンルームを開き、ライトのカバーをはずして交換と説明書にあって、カバーははずしたのだが、すぐ後ろに機械があって、はずしたカバーを逃がす空間がないのだった。日本車とちがって、外国車はメインテナンスのことはほとんど考えずに組み立てられているということがよくわかった。
おしゃれなクルマに乗ろうとすると、それなりに苦労があるということだ。
でも、好きなクルマに乗る、クルマを愛する、というのは、そういうことだと思う。
(2014年2月5日)





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