12月8日は、真珠湾攻撃の日(1941年)だが、スウェーデンの女王クリスティーナの誕生日でもある。クリスティーナ女王は個性的で、とてもえらい人物だった。

 クリスティーナは、1626年12月8日、スウェーデン王室に生まれた(現代のグレゴリオ暦だとすこし異なる)。彼女の父親は、「北方の獅子」と呼ばれたグスタフ2世アドルフ王で、王は軍事力を整備してポーランドと戦い、ドイツ(神聖ローマ帝国)を舞台にした三十年戦争に介入し、バルト海沿岸に覇をとなえて、スウェーデンの最盛期を作った英雄だった。その父親が37歳の若さで戦死し、娘のクリスティーナが女王として即位することになった。彼女が6歳のときのことである。
 クリスティーナが子どものころは、宰相が政治を補佐しておこなっていた。
 彼女は、本や勉強が大好きな子どもで、1日10時間勉強しても苦にならなかった。
 家庭教師について、彼女はギリシア哲学やローマの歴史を学び、スウェーデン語、デンマーク語、ドイツ語、オランダ語、フランス語、イタリア語を使いこなしたという。
 18歳のころからは、クリスティーナがスウェーデン女王として親政をおこなうようになる。戦争戦争の強硬策に明け暮れた父親時代の方針を彼女はあらため、周辺諸国への宥和策をとった。戦争で負かした国に対して、莫大な賠償金を要求していたところを、寛容さを見せて譲歩し、条件をだいぶゆるくして講和条約を結んだりした。
 国内の一部からは、弱腰だとの批判もあったが、一面、英国や神聖ローマ帝国を相手に外交でもたくみなかけひきをし、国内の産業を保護し、学芸を奨励した。
 執務のかたわら、寝る間も惜しんで本を読む学問好きだった。
 22歳のころから、何度も王位をべつの者に譲ろうとして、周囲に止められてきたクリスティーナ女王は、28歳のとき、ようやく王位を従兄に譲って退位した。身軽になった彼女は、スウェーデンをでてデンマーク、ネーデルランド(オランダ)、イタリア、フランスと、ヨーロッパをめぐる旅にでかける。
 途中、オーストリアで、カトリックに改宗している。42歳のころからローマに居を定めて生活するようになり、ローマ教皇と親しく交際した。
 カトリックとプロテスタントがヨーロッパ中で対立していた時代に、クリスティーナはそのあいだで苦しんだ。彼女はカトリックに改宗したとはいえ、人々の信仰の自由を尊ぶ自由人だった。ルイ14世が、プロテスタントの信者にもカトリック教徒と同様の権利を与えることを認めたナントの勅令を取り消そうとしたときには、クリスティーナは王を批判する手紙を書いた。あるいは彼女は、友人である教皇を動かして、ローマにいるユダヤ人たちへの差別をなくさせた。
 元女王クリスティーナは1689年、細菌性の肺炎にかかり、62歳のとき、ローマでこの世を去っている。

 自分は、グレタ・ガルボ主演の映画「クリスチナ女王」が大好きである。ガルボが演じるクリスチナ女王は、気さくで、男勝りで、本好きで、平和主義者で、人民の味方で、王位をぽんっと捨てて、恋に生きる道を選んでしまう。王位というのは、王族の兄弟姉妹がたがいに毒を盛りあってまでして手に入れようとする地位である。こんな女王さまがいるものかと思っていたが、実際のクリスティーナ女王は、映画にかなり近い人だったみたいで驚いてしまう。17世紀のヨーロッパの王族に、こんなに権力に執着しない、庶民や外国を思いやる心と頭をもっていた人物がいたとは。まったく、おとぎ話にしか出てこないような、すばらしい女王さまがいたものである。
(2013年12月8日)



●おすすめの電子書籍!

『12月生まれについて』(ぱぴろう)
クリスティーナ女王、ディズニー、ゴダール、ディートリッヒ、ブリトニー・スピアーズ、マリア・カラス、ウッディ・アレン、ニュートン、ベートーヴェン、エッフェル、ハイネ、伊藤静雄、尾崎紅葉、埴谷雄高など、12月誕生の31人の人物評論。人気ブログの元となった、より深く詳しいオリジナル原稿版。12月生まれの取扱説明書。

http://www.meikyosha.com/ad0001.htm