11月25日は、三島由紀夫が没した(1970年)憂国記だが、この日は米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの誕生日でもある。
いま「カーネギー」というと、若い人たちは『道は開ける』などマインド・エッセイで知られるデール・カーネギーを思い浮かべる人が多いのかもしれないけれど、「カーネギー」といえばやっぱり「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーである。
自分は、カーネギーの自伝を子どものころに読んだし、大人になってからも読んだ。

カーネギーは、1835年に英国スコットランドのダンファームリンで、手織り工の家に生まれた。不況のため、アンドリューが13歳の年に、一家は移民として米国へ渡った。ペンシルヴェニア州のアレゲーニーの貧しい地区に落ち着いたカーネギーは、13歳のころから綿糸工場で週6日、毎日12時間働きはじめた。15歳のころ、ピッツバーグの電信会社のメッセンジャーボーイに転職。持ち前の勤勉さを発揮して、自分の電信技術を磨き、たちまち突出した有能さを発揮して、出世の糸口をつかんだ。やがて、労働者から経営者、資本家の側にまわり、製鉄業に進出し、ついにカーネギーは大富豪となった。彼は、現在のUSスチールの前身を作り、ミシシッピー川に鉄橋をかけた。
そして、66歳で事業を売却してからは、慈善事業に専念した。大統領から一般庶民向けまで、さまざまな年金基金を作り、全米に図書館を作りまくり、ニューヨークのマンハッタンにある、あのカーネギー・ホールを作った。
52歳のとき、22歳年下の女性と結婚し、ようやく庶民並みの幸福な生活を知った後、1919年8月、肺炎により、マサチューセッツ州レノックスで没した。83歳だった。
彼は生きているあいだに3億5千万ドルを寄付していて、それは2010年現在の貨幣価値に換算すると、48億ドル(約4800億円)に相当するという。

まず冷徹に金儲け、引退後は慈善事業という、アメリカ富豪のライフ・スタイルの標準を作ったカーネギー。
ただし、自分はアメリカ史をすこし勉強したので、彼が自伝で書いているような立派なことずくめの人生を歩いてきたのではないことも知っている。
引退後のカーネギーはたしかに慈善家だったろうが、現役時代の彼は、お金に関してシビアで、買収も強引だし、とくに労働者に対しては冷酷きわまりなかった。
自分の会社の労働者がストを起こそうものなら、ピンカートン探偵社を雇って、ストつぶしをしたり、労働者のリーダーをリンチしたり、始末したりということもあったと記憶する。そうやって、血も涙もない金の亡者となり、なにふりかまわずお金をかき集め、引退した後は急に仏のようになって慈善事業をはじめた、との見方もある。
毀誉褒貶があると思う。でも、
「富をもったまま死ぬのは不名誉なこと」
と、自腹をきって社会貢献したのはえらいと思う。
ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットも、カーネギーにならったのである。
日本のお金持ちにも、そういう人はすこしいるけれど、もっと増えたらいいと思う。
儲けるだけ儲けて、宇宙船の残骸を買ったり、カジノでつかい果たすと公言したりしている連中には、すこし見習ってほしいなあ、と。でも、はじめから慈善事業を考えているような手合いだったら、お金儲けがうまくないのかもしれず、なかなかむずかしい。
そう、われわれが求める「やさしいお金儲け上手」は、その定義自体に矛盾がある、存在不可能な存在だろうか?
(2013年11月25日)



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