11月24日は、仏国の画家、ロートレックが生まれた日(1864年)だが、『小公子』『小公女』『秘密の花園』を書いたバーネットの誕生日でもある。
バーネットというと、自分は成功へのモチベーション(動機)ということについて考えさせられる。

フランシス・イライザ・ホジソンは、1849年、英国イングランドのマンチェスターに生まれた。父親は裕福な金物商で、家には召使もいた。フランシスは5人きょうだいのまんなかで、上に2人の兄、下に2人の妹がいた。
彼女が4歳のころ、父親が脳卒中で亡くなり、母親が家業を切り盛りした。
フランシスは祖母の世話をよくし、祖母ために本を買いにいき、本に親しむ文学少女に育っていった。
米国の南北戦争が勃発し、米国南部から綿が入ってこなくなると、綿織物産業に大きく依存していたマンチェスターの産業は急速にしぼみだし、ホジソン家の家業も大きく傾いた。
未亡人のホジソン夫人は一大決心をし、フランシスが16歳のころ、彼女の一家はアメリカのテネシー州ノックスヴィルへと移住した。
米国にやってきたフランシスは家計を助ける必要から、物語を書いては、雑誌に投稿するようになった。そうして、19歳の年に、女性向け月刊雑誌に物語を発表。
24歳の年に医者のスワン・バーネットとワシントンDCで結婚し、フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット(バーネット夫人)となった。
40歳のころ、『小公子』(Little Lord Fauntleroy)を発表。これは児童向けの物語だったが、母親達に大いに人気を博した。主人公の男の子のロングカールの髪型と、オスカー・ワイルドの扮装をヒントにしたベルベットの「フォントルロイ・スーツ」が大流行した。
その後、『小公女』『秘密の花園』などを書き、1924年10月、ニューヨーク州プランドームで没した。74歳だった。

出世作『小公子』は、当時で50万部以上も売れたというからすごい。ハリウッドの天才子役といわれたシャーリー・テンプルが主演した映画『小公女(A Little Princess)』もなつかしい。
バーネットは英国生まれだが、家族とともに引っ越していったアメリカで作家デビューし、アメリカで活躍したアメリカの作家といえる。米国の市民権も得ている。
彼女の家は貧乏だったので、その貧困から脱出するべく、小説を書きだし、17歳のころに雑誌に投稿した小説でデビュー。原稿に添えられた編集部あての手紙には、
「わたしはお金が欲しいのです」
とあった、とどこかで読んだ。
こういうはっきりした動機というのが、成功のカギなのかもしれないなあ、と思う。
007号ジェイムズ・ボンドの生みの親、イアン・フレミングも、歌手の矢沢永吉も、お金がモティベーション(動機付け)になっていると公言していた。

たとえ成功しなかったとしても、恥もてらいもなく、まっすぐそうやっていえたら、ぶれずに生きられて、気持ちがいいのにちがいない。
いいなあ、うらやましいなあ、と思う。でも、なかなかまねできない。なぜだろう?
ぶれずに生きたい今日このごろ。
(2012年11月24日)



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