11月22日は「いいふうふ」の語呂合わせで「夫婦の日」。この日は、仏国の作家、アンドレ・ジイド(1869年)が生まれた日だが、ドイツのテニス・ヒーロー、ボリス・ベッカーの誕生日でもある。
自分はベッカーのビッグ・サーブをテレビで見るばかりで、間近で見たことがなく、それをとても残念に思っている。17歳でウィンブルドンを制したドイツの国民的な英雄である。「若さの輝き」ということばを聞くとき、自分は真っ先にボリス・ベッカーを思い浮かべる。

ボリス・フランツ・ベッカーは、1967年、当時の西ドイツのライメンで生れた。父親は建築家、母親はチェコスロバキアで育った女性で、ボリスは一人っ子だった。父親はライメンにテニス・クラブを創設していて、ボリスはそこでテニスを習った。
子どものころはむしろサッカーに夢中だったというボリスは、14歳のころ、テニスに転向し、17歳になる年にプロとなり、すぐにミュンヘンの男子ダブルスで優勝し、翌年の1985年には全英オープン「ウィンブルドン」で優勝してしまった。17歳と7カ月での快挙で、無論、史上最年少優勝記録となった。
ウィンブルドンでは、翌1986年にも優勝して連覇を遂げた。
また、1987年のデビスカップでは、西ドイツ・チームを率いて戦い、米国代表のジョン・マッケンローと、6時間22分というテニス史上もっとも長い試合を戦った。ゲームは、4-6、15-13、8-10、6-2、6-2でベッカーが勝った。その年のデビスカップは決勝に進めなかったが、翌年から1989年、1990年と、西ドイツを優勝に導いた。
ベッカーは、全豪オープン2勝、ウィンブルドン3勝(準優勝4回)、全米オープン1勝という記録を残し、1999年に現役を引退した。

いまの若い人たちは知らないと思うけれど、ベッカーは現代のビッグ・サービス時代を開いたパイオニア的な選手である。

ベッカーが1985年のウィンブルドン大会の決勝で、南アフリカ代表のケビン・カレンを破った試合は、見る者に、テニス新時代の幕開けを鮮やかに印象づけた。
スピード・サーバー同士の決勝。それまでの優勝経験者であるコナーズやマッケンローはすでに敗退して姿を消していて、ニュー・ヒーロー同士の対決だった。
「ブンブン・ベッカー」「ブンブン・サーブ」などと呼ばれた。
ネットに出たとき、相手の放ったパッシングショットに、横っ飛びに飛びついて、よくコートに転んだ。若さだったと思う。
ベッカーは、髪から濃いうぶ毛まで、すべて輝くような金髪で、まつげも金色なので、なんだかまつげにいつもほこりが積もっているように見えるのが印象的だった。
予選から勝ち抜いてきた、その17歳の新鋭ボリス・ベッカーが、ついに優勝を果たしたのだった。
ベッカーは、少年時代はずっとサッカーをやっていて、ほんの3年前にテニスをはじめたばかりだということだった。
それを聞いて、当時、テニスをはじめて2年目だった知人はつぶやいたものだ。
「道理で。おれも来年には、きっとうまくなっているはずだ」
(2013年11月22日)



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