11月21日は、シュルレアリスムの画家、ルネ・マグリットが生まれた日(1898年)だが、仏国の思想家、ヴォルテールが生まれた日でもある。
自分は中学生のころからヴォルテールの名前は聞き及んでいた。なんでも、揺りかごのなかで詩を作ったそうで、歴史上の天才たちのなかでも、ゲーテやライプニッツ、パスカルらと並んでIQの高さがトップクラスで、自分の著書が焚書にされると、
「うれしい。わたしの本は栗と同じで、焼けば焼くほどよく売れる」
と言ったとか。えらい人もいたものだ、と思った。

ヴォルテールは、1694年、仏国のパリで生まれた。本名は、フランソワ=マリー・アルエ。父親は商人だったが、後に会計院の役人となった。
イエズス会の学校で教育を受けたアルエは、十代のころからさかんに詩集を出版したり、恋愛事件を興したりしていた。
22歳のとき、当時の摂政を風刺する文書『わたしは見た』を発行したかどで、逮捕され、バスチーユ監獄に入れられた。この獄中で戯曲『エディプ』を書き、釈放後の24歳のときにこの悲劇が舞台にかかるや、ロングランを記録する大ヒットとなり、彼は一躍成功した劇作家となった。彼はこのころから「ヴォルテール」というペンネームを使いだした。
悲劇や喜劇をつぎつぎと書いては、上演していた流行劇作家ヴォルテールは、31歳のとき、劇場で会った貴族と口げんかをしたのが発端となって、その貴族に襲われるという事件に見舞われた。ヴォルテールは貴族と決闘を望んだが、相手側が先手を打って官憲に手をまわし、平民のヴォルテールはまたもや逮捕、バスチーユに投獄された。
亡命を条件に出獄したヴォルテールは、英国へ渡り、かの国で約3年間を過ごした。
33歳のとき、フランスへもどり、ふたたび演劇作品を書いてヒットを飛ばした。
38歳のとき、『哲学書簡』を英訳版で発表。これは手紙形式の文明批評で、宗教、科学、哲学を論じ、英国と仏国の文化、習慣を比較し、仏国の蒙昧ぶりを痛烈に批判した内容だった。これが本国フランスに逆輸入されて仏語版が出ると、たちまち禁書処分となり、あちこちで彼の本は栗のように焼かれた。出版者は投獄され、ヴォルテールは逃げた。
40歳のころ、パリにもどった。
52歳のとき、賭けカードゲームの席で勝ちつづけていた王族をうっかり「いかさま師」呼ばわりして不興を買い、ドイツへ逃亡した。ドイツではしばらく厚遇されていたが、58歳のころ、王の機嫌を損ね、スイスへ渡った。
その後、ヴォルテールは、ディドロらの『百科全書』に関わり、小説『カンディード』を書き、64歳のころ、仏国内の、スイス国境に近いフェルネーに土地を購入して住んだ。
82歳のとき、パリへもどり、1778年5月、パリで没した。83歳だった。

あちこちの王さまとぶつかり、投獄と亡命を繰り返した、反骨精神あふれる知性の生涯だった。知性を麻痺させて長いものに巻かれる生き方を潔しとしなかった。
自分はヴォルテールの『哲学書簡』を読んだことがある。クエーカー教徒や、長老派教徒、それからパスカルについての叙述がおもしろかった。
とくに、英国にいるクエーカー教徒や、ウィリアム・ペンについての、一歩弾いた感じの冷静な書き方が、あえて言わないのだけれど文章に底流している熱いカトリック教会批判の精神をかえって強く印象づけていて、みごとだと思った。

現代日本にも、古い迷信や因習、無知蒙昧さがだいぶはびこっていると思う。生きていると、自分はときどきそういうものに出くわす。いま、日本に必要なのは、ひとりのヴォルテールかもしれない。
(2013年11月21日)



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