8月24日は、西暦79年のこの日に、イタリアのヴェスビアス火山が噴火し、ポンペイの町が火山灰に埋もれて消滅した「ポンペイ最後の日」。この日は、迷宮の作家、ボルヘス(1899年)が生まれた日だが、歴史学者のブローデルの誕生日でもある。
自分は若いころから、ブローデルの『地中海』というぶ厚い本を書店で見かけては、その威圧感に気おされ、恐る恐る手を伸ばし、ぱらぱらのぞいてきた。一冊が軒並み四百ページ超で六千円以上もし、第一巻は六百ページ近くあって八千円以上し、全五巻。ちゃんと読んだことがない。でも、ブローデルの歴史についての考えのおおよそのところは知っていて、共感するところが多い。
フェルナン・ブローデルは、1902年、仏国の北東部、独国との国境に近いロレーヌ地方で生まれた。父親は小学校教師だった。子どものころは医者になりたかったが、父親は息子の意見に反対で、結局フェルナンは大学で歴史学を学んだ。
21歳から30歳まで、彼は北アフリカのアルジェリアで教師をし、そのときに地中海に魅了された。
帰国後はパリで教師をしていたが、第二次世界大戦がはじまると、兵役につき、38歳になるすこし前にドイツ軍の捕虜となった。捕虜収容所では、後に『地中海』として発表される歴史学論文を書き、1945年、終戦の年、43歳になるすこし前に解放された。
戦後は研究所の研究員、市民大学の教授などを務め、47歳のとき、大著『地中海』刊行。その後も大幅に手を入れ、改訂を続けた。
54歳のとき、学術雑誌「アナール(「会報」の意)」の編集長となり、アナール学派と呼ばれる歴史学者の中心となり、多くの後進を育て、大作『フランスの歴史』の執筆途中の1985年11月、没した。83歳だった。
ブローデルの『地中海』は、16世紀後半の地中海を、いくつもの時間の層の重なりと見て、ていねいにその層をいく重にも描きだしたものである。もともとは、スペイン艦隊でオスマン=トルコ軍を撃破したスペイン絶頂期のフェリペ二世の地中海政策の研究論文だったのが、調べていくうちに自然、地理、歴史、国家、人、経済などさまざまな顔をもった「地中海」という主人公が見えてきて、それについて書かざるを得なくなり、それでこういう大著になったのだった。『地中海』を通して著者が言いたかったことをひと言でまとめるなら、
「歴史はひと言に要約できない。ただし、全体としての大きな時間の流れはある」
ということになるのかもしれない。それにしても、この大作の草稿を、資料のない捕虜収容所で、自分の記憶を頼りに書いた、その頭脳と精神力には頭が下がる。
『地中海』の最後を、ブローデルはこういう文章でしめくくっている。
「私は気質から言えば、『構造主義者』である。だが、歴史家の『構造主義』は、他の人間緒科学を苦しめている問題群、構造という同じ名前で呼ばれる問題群とは、何の関わりもない。この歴史家の構造主義は、もろもろの関係が関数として表現される数学的な抽象化の方向へ歴史家を導くことはない。歴史家は、生活のなかで最も具体的で、最も日常的で、最も不滅であるもの、最も匿名の人間に関わるもの、そのような生の源泉そのものへと向かっていくのである。」(浜名優美訳『地中海V』藤原書店)
自分はこういう「生きた歴史」「庶民の視点からの歴史」にとても共感するし、ありがたいと思う。自分がやってきた歴史学は、コミュニティーという、とてもマイナーなジャンルの、世界情勢のからむ歴史のメインストリームから遠く離れた、世界の片すみにいる庶民の一活動を拾い上げ、見つめる作業だからである。
(2013年8月24日)
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自分は若いころから、ブローデルの『地中海』というぶ厚い本を書店で見かけては、その威圧感に気おされ、恐る恐る手を伸ばし、ぱらぱらのぞいてきた。一冊が軒並み四百ページ超で六千円以上もし、第一巻は六百ページ近くあって八千円以上し、全五巻。ちゃんと読んだことがない。でも、ブローデルの歴史についての考えのおおよそのところは知っていて、共感するところが多い。
フェルナン・ブローデルは、1902年、仏国の北東部、独国との国境に近いロレーヌ地方で生まれた。父親は小学校教師だった。子どものころは医者になりたかったが、父親は息子の意見に反対で、結局フェルナンは大学で歴史学を学んだ。
21歳から30歳まで、彼は北アフリカのアルジェリアで教師をし、そのときに地中海に魅了された。
帰国後はパリで教師をしていたが、第二次世界大戦がはじまると、兵役につき、38歳になるすこし前にドイツ軍の捕虜となった。捕虜収容所では、後に『地中海』として発表される歴史学論文を書き、1945年、終戦の年、43歳になるすこし前に解放された。
戦後は研究所の研究員、市民大学の教授などを務め、47歳のとき、大著『地中海』刊行。その後も大幅に手を入れ、改訂を続けた。
54歳のとき、学術雑誌「アナール(「会報」の意)」の編集長となり、アナール学派と呼ばれる歴史学者の中心となり、多くの後進を育て、大作『フランスの歴史』の執筆途中の1985年11月、没した。83歳だった。
ブローデルの『地中海』は、16世紀後半の地中海を、いくつもの時間の層の重なりと見て、ていねいにその層をいく重にも描きだしたものである。もともとは、スペイン艦隊でオスマン=トルコ軍を撃破したスペイン絶頂期のフェリペ二世の地中海政策の研究論文だったのが、調べていくうちに自然、地理、歴史、国家、人、経済などさまざまな顔をもった「地中海」という主人公が見えてきて、それについて書かざるを得なくなり、それでこういう大著になったのだった。『地中海』を通して著者が言いたかったことをひと言でまとめるなら、
「歴史はひと言に要約できない。ただし、全体としての大きな時間の流れはある」
ということになるのかもしれない。それにしても、この大作の草稿を、資料のない捕虜収容所で、自分の記憶を頼りに書いた、その頭脳と精神力には頭が下がる。
『地中海』の最後を、ブローデルはこういう文章でしめくくっている。
「私は気質から言えば、『構造主義者』である。だが、歴史家の『構造主義』は、他の人間緒科学を苦しめている問題群、構造という同じ名前で呼ばれる問題群とは、何の関わりもない。この歴史家の構造主義は、もろもろの関係が関数として表現される数学的な抽象化の方向へ歴史家を導くことはない。歴史家は、生活のなかで最も具体的で、最も日常的で、最も不滅であるもの、最も匿名の人間に関わるもの、そのような生の源泉そのものへと向かっていくのである。」(浜名優美訳『地中海V』藤原書店)
自分はこういう「生きた歴史」「庶民の視点からの歴史」にとても共感するし、ありがたいと思う。自分がやってきた歴史学は、コミュニティーという、とてもマイナーなジャンルの、世界情勢のからむ歴史のメインストリームから遠く離れた、世界の片すみにいる庶民の一活動を拾い上げ、見つめる作業だからである。
(2013年8月24日)
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