敗戦記念日の8月15日は、「余の辞書に不可能の文字はない」と言ったフランス皇帝、ナポレオンが生まれた日(1769年)だが、インドの思想家、オーロビンドの誕生日でもある。
オーロビンドはインド独立運動初期の闘士で、後に運動から身を引き、思想家となった。「聖」の意味の「Sri」を付けて「シュリ・オーロビンド」と呼ばれる。自分は、オーロビンドの著書や伝記などを英語版で何冊か読んでいて、南インドのポンディチェリーにある彼のアシュラム(修行道場)を訪ねたことがある。
オーロビンド・ゴーシュは、1872年に、当時英国の植民地だったインドのコルカタで生まれた。父親は医者で、オーロビンドは6人きょうだいの上から3番目だった。
7歳になったオーロビンドは、上の二人の兄とともに英国へ留学し、留学中に、インド独立のためにいつか行動を起こす決意を固めた。
21歳になり、14年ぶりにインドへ帰国したオーロビンドは、バローダ州の行政サービスに勤務した。25歳のころから、バローダ大学で仏語や英語を教えるようになり、29歳のころから、しだいに民族主義運動に力を入れだし、国内の独立革命を目指す活動家たちと連絡を取り合い、革命機関紙を編集し、各地の集会で講演をした。
36歳のとき、爆弾テロ事件に関与した容疑で、未決囚として刑務所に収監された。刑務所の独房で、強い幸福感をともなう神秘体験をし、それが彼の転機になった。
37歳のとき、無罪が確定し、釈放されたオーロビンドは、政界から引退し、彼を慕う数人の弟子を連れ、インド南部のポンディチェリーへ移り住み、著述と瞑想三昧の生活をはじめた。オーロビンドのアシュラム(修行道場)は、瞑想修行のパートナーとなるフランス人女性、ミラ・アルファサを得て、彼女の働きによっては整理され、発展した。
アシュラムは戦争難民の子どもたちのために学校をはじめ、それは後にアシュラムから独立し「聖オーロビンド国際教育センター」となった。ミラはまた、人類のつぎに地球上で繁栄する種の出現のための準備として巨大なコミュニティー「オーロヴィル」を創設した。
1947年8月15日は、インド独立の日であり、またオーロビンドの75回目の誕生日だった。この日、オーロビンドはラジオの全国放送で演説をした。
1950年12月、ポンディチェリーで没した。78歳だった。
オーロビンドくらい修行を積んだ人になると、自分の病気霊力で治すのは朝飯前だった。しかし、晩年のオーロビンドはもはや自分のからだを治癒しようとはしなかった。弟子たちが、なぜ霊力で治療しないのかと問うと、師はこう答えた。
「説明できない。きみには理解できない」
オーロビンドの魂は、彼の肉体を離れた。これはじつは死んだわけではなく、オーロビンドは肉体から離れる前に、こう言い残している。
「わたしはいずれ、超物質的方法で構成された超物質的肉体をもって出現するだろう」
「われわれはなんのために生まれてきたのか。なんのために生きているのか」
自分はそれが知りたい。それで、ブッダ、ニーチェ、クリシュナムルティ、シュタイナー、空海、道元、親鸞、日蓮など、いろいろな人の説を読んできた。この問いに対するオーロビンドの答えは、かんたんに言うと、こうである。
生は、苦しみでも、無味乾燥な繰り返しでもなく、本来楽しいはずの、生き生きとした聖なる営みである。生は魂の冒険であり、魂は転生を繰り返して、そのつど新しい体験の旅に出、新しい体験を重ねて進化していく。そこに新たに生まれ変わる意味がある。
自分はオーロビンドの生肯定的な考え方が好きで、彼の言う通りかもしれないなぁ、と思っている。
生は魂の冒険。この時代の、この瞬間に体験をできることを体験するために、われわれは生まれてきたし、生きている。そういう考え方って、いいな、と。
(2013年8月15日)
●おすすめの電子書籍!
『オーロビンドとマザー』(金原義明)
インドの神秘思想家オーロビンド・ゴーシュと、「マザー」ことミラ・アルファサの思想と生涯を紹介する人物伝。オーロビンドはヨガと思索を通じて、生の意味を明らかにした人物で、その同志であるマザーは、南インドに世界都市のコミュニティー「オーロヴィル」を創設した女性である。
『オーロヴィル』(金原義明)
南インドの巨大コミュニティー「オーロヴィル」の全貌を紹介する探訪ドキュメント。オーロヴィルとは、いったいどんなところで、そこはどんな仕組みで動き、どんな人たちが、どんな様子で暮らしているのか? 現地滞在記。あるいはパスポート紛失記。南インドの太陽がまぶしい、死と再生の物語。
『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。
www.papirow.com


オーロビンドはインド独立運動初期の闘士で、後に運動から身を引き、思想家となった。「聖」の意味の「Sri」を付けて「シュリ・オーロビンド」と呼ばれる。自分は、オーロビンドの著書や伝記などを英語版で何冊か読んでいて、南インドのポンディチェリーにある彼のアシュラム(修行道場)を訪ねたことがある。
オーロビンド・ゴーシュは、1872年に、当時英国の植民地だったインドのコルカタで生まれた。父親は医者で、オーロビンドは6人きょうだいの上から3番目だった。
7歳になったオーロビンドは、上の二人の兄とともに英国へ留学し、留学中に、インド独立のためにいつか行動を起こす決意を固めた。
21歳になり、14年ぶりにインドへ帰国したオーロビンドは、バローダ州の行政サービスに勤務した。25歳のころから、バローダ大学で仏語や英語を教えるようになり、29歳のころから、しだいに民族主義運動に力を入れだし、国内の独立革命を目指す活動家たちと連絡を取り合い、革命機関紙を編集し、各地の集会で講演をした。
36歳のとき、爆弾テロ事件に関与した容疑で、未決囚として刑務所に収監された。刑務所の独房で、強い幸福感をともなう神秘体験をし、それが彼の転機になった。
37歳のとき、無罪が確定し、釈放されたオーロビンドは、政界から引退し、彼を慕う数人の弟子を連れ、インド南部のポンディチェリーへ移り住み、著述と瞑想三昧の生活をはじめた。オーロビンドのアシュラム(修行道場)は、瞑想修行のパートナーとなるフランス人女性、ミラ・アルファサを得て、彼女の働きによっては整理され、発展した。
アシュラムは戦争難民の子どもたちのために学校をはじめ、それは後にアシュラムから独立し「聖オーロビンド国際教育センター」となった。ミラはまた、人類のつぎに地球上で繁栄する種の出現のための準備として巨大なコミュニティー「オーロヴィル」を創設した。
1947年8月15日は、インド独立の日であり、またオーロビンドの75回目の誕生日だった。この日、オーロビンドはラジオの全国放送で演説をした。
1950年12月、ポンディチェリーで没した。78歳だった。
オーロビンドくらい修行を積んだ人になると、自分の病気霊力で治すのは朝飯前だった。しかし、晩年のオーロビンドはもはや自分のからだを治癒しようとはしなかった。弟子たちが、なぜ霊力で治療しないのかと問うと、師はこう答えた。
「説明できない。きみには理解できない」
オーロビンドの魂は、彼の肉体を離れた。これはじつは死んだわけではなく、オーロビンドは肉体から離れる前に、こう言い残している。
「わたしはいずれ、超物質的方法で構成された超物質的肉体をもって出現するだろう」
「われわれはなんのために生まれてきたのか。なんのために生きているのか」
自分はそれが知りたい。それで、ブッダ、ニーチェ、クリシュナムルティ、シュタイナー、空海、道元、親鸞、日蓮など、いろいろな人の説を読んできた。この問いに対するオーロビンドの答えは、かんたんに言うと、こうである。
生は、苦しみでも、無味乾燥な繰り返しでもなく、本来楽しいはずの、生き生きとした聖なる営みである。生は魂の冒険であり、魂は転生を繰り返して、そのつど新しい体験の旅に出、新しい体験を重ねて進化していく。そこに新たに生まれ変わる意味がある。
自分はオーロビンドの生肯定的な考え方が好きで、彼の言う通りかもしれないなぁ、と思っている。
生は魂の冒険。この時代の、この瞬間に体験をできることを体験するために、われわれは生まれてきたし、生きている。そういう考え方って、いいな、と。
(2013年8月15日)
●おすすめの電子書籍!
『オーロビンドとマザー』(金原義明)
インドの神秘思想家オーロビンド・ゴーシュと、「マザー」ことミラ・アルファサの思想と生涯を紹介する人物伝。オーロビンドはヨガと思索を通じて、生の意味を明らかにした人物で、その同志であるマザーは、南インドに世界都市のコミュニティー「オーロヴィル」を創設した女性である。
『オーロヴィル』(金原義明)
南インドの巨大コミュニティー「オーロヴィル」の全貌を紹介する探訪ドキュメント。オーロヴィルとは、いったいどんなところで、そこはどんな仕組みで動き、どんな人たちが、どんな様子で暮らしているのか? 現地滞在記。あるいはパスポート紛失記。南インドの太陽がまぶしい、死と再生の物語。
『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。
www.papirow.com

