8月14日は、映画「ベルリン・天使の詩」のヴィム・ヴェンダース監督が生まれた日(1945年)だが、『シートン動物記』を書いた作家、アーネスト・シートンの誕生日でもある。
自分は子どものころから動物関係の物語が好きで、椋鳩十、畑正憲、コンラート・ローレンツといった作家の書いたものを読んできたが、シートンはその源流のひとりである。彼の『オオカミ王ロボ』は、読むたびに感じるところがちがう、味わい深い名編だと思う。

アーネスト・トンプソン・シートンは、1860年、英国イングランドのサウス・シールズで生まれた。父親は船主で、アーネストは11人きょうだいの9番目の子どもだった。
父親の事業がうまくいかなくなり、一家は、アーネストが6歳のときに大西洋を渡り、カナダのオンタリオ州リンゼイに引っ越した。父親はそこで農場経営を試みた後、一家を連れてトロントへ越し、そこで会計係の仕事についた。
子どものころから自然に囲まれた環境にひかれ、動物の観察を好んだアーネストは、19歳で美術研究のために英国へ渡った。英国では奨学金を得てロイヤル・アカデミーで勉強しはじめたが、体調をくずし、21歳のとき、カナダへ帰った。
22歳のころ、カナダ中西部のマニトバ州へ引っ越し、同州の公認博物学者に任命された。その後、辞典に収録するための動物の挿絵を描き、パリで絵画の修行をした。
38歳のとき、『オオカミ王ロボ』の話を含む著書『私の知っている野性動物』を発表。ベストセラーとなり、以後、作家活動、講演活動に活躍した。『シートン動物記』と呼ばれる一連の動物物語を書き、ボーイ・スカウト創設に関わった後、 1946年10月、ニューメキシコ州で没した。86歳だった。

『オオカミ王ロボ』は、当時19世紀末の米ニューメキシコ州に、牛や羊を食い殺し牧場に大損害を与えていたオオカミの群れのリーダー「ロボ」と、シートンとの対決の物語である。しかし、現代に読むと、動物をオオカミ以上にたくさん殺して食べ、自然破壊を進めて多くの野性動物たちを絶滅の危機に追いやり、地球上に増えすぎてしまった人間の存在の罪深さが先に思われ、オオカミがかわいそうになる。
シートンの文章も、ほかの動物を食べなくては生きていけないオオカミの運命への共感や憐れみ、また、ロボの誇り高い態度への尊敬の念などが込められていて、百年前に書かれた古さをまったく感じさせないだけの深さをもっている。
シートンを読むと、自分などは、オオカミも人間も、生きているというのは、ただそれだけで、悲しいことなのだなぁ、などと感じる。

23歳のとき、シートンは田舎から大都会のニューヨークへ、自活するために出た。ポケットには全財産の2ドルがあるきり。シートンは節約し、ロールパンを1日に半分だけ食べてしのぎ、職をさがした。そのとき、彼はこう決心したという。
「僕の生きている限り、もし『お腹が空いた』といって寄ってくる者は、人間でも動物でも僕は絶対彼らを拒みはしないぞ」(ジュリア・M・シートン著、佐藤亮一訳『燃えさかる火のそばで シートン伝』早川書房)
彼は出世してから、浮浪者にお金をせびられると、必ず応じてお金を手渡したという。
(2013年8月14日)




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