8月11日は、『宮本武蔵』を書いた大衆文学の大家、吉川英治(1892年)が生まれた日だが、ソフトバンクの創業者、孫正義の誕生日でもある。
自分がはじめて孫正義の名前を知ったのは、1996年にソフトバンクが出資して、Yahoo! JAPANを設立したときだった。当時自分は事務所にようやくISDN回線をひいて、ホームページを自作しようとしていたころで、まだインターネットがどれだけ普及するのかも、検索サイトがどれだけ価値のあるものなのかもわからなかった。新宿駅の南口に「www.yahoo.co.jp」の広告看板が大きく掲げられているのを見て、自分は、孫正義という、明らかに自分より百歩も千歩も先を読んでいる人がいることを知った。
孫正義は、1957年、佐賀の鳥栖に生まれた。父親は在日韓国人の廃品回収業者だったが、
正義が生まれた後、パチンコ店経営に乗りだした。
貧しく、被差別的な環境のなかで、正義はよく勉強し、福岡の学校に通った。そのころ司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読み感銘を受けた。坂本龍馬の土佐藩脱藩にならい、米国行きを決意した。米国へ行くのに先立ち、東京の日本マクドナルドの藤田田社長に会いに行った。何度も門前払いをくった後、ようやく会えた藤田社長に、高校生の孫は、米国でなにをするべきかアドバイスを求めた。藤田はこういう意味のことを答えたという。
「日本人はまだ気づいていないが、コンピュータによってこれから世の中は大きく変わる。米国ではコンピュータを見てくるべきだ」
17歳のとき、高校を中退して渡米。米国の高校、大学を卒業した。大学在学中に、自動翻訳機のアイディアを、日本企業シャープに売り込み、代価1億円を得て、それを元手に米国で会社を興し、日本からインベーダーゲーム機を輸入し販売した。
大学卒業後、帰国。日本でも起業し、パソコン用ゲームソフトの販売、インターネット回線ADSL事業、プロ野球球団経営、携帯電話事業などと事業を展開、拡大させてきた。
孫正義はたいした男である。自分は、彼にはとてもえらいところがたくさんあると思う。
まず、苛酷な環境にもくじけず、まっすぐに自分の大志に向かって邁進したこと。一部の日本人は、在日の人々を含む、日本人以外の有色人種を意味もなく蔑視するけれど、そうした差別や意地悪に対し、孫は自分の資質を屈折させられることなく、自分を伸ばしてきた。小人や俗物の発する雑音に惑わされず、困難を乗り越え、わが道をゆく。これは、まさに英雄の生き方である。
それから、『竜馬がゆく』を読んでいるところがえらいと思う。しかも、すくなくとも二度以上通読しているという。
じつは自分は坂本龍馬とは誕生日が同じ縁で、龍馬については昔からいろいろな資料を読んでよく知っていた。もちろん司馬遼太郎の新聞小説『竜馬がゆく』も全巻そろえて本棚に置いていた。しかし、結局読まぬまま古書店に売ってしまった。そういう過去があるので、あの小説を通して読んだ人は、ただそれだけで尊敬してしまうのである。
孫が『竜馬がゆく』を二度目に読んだのは、彼が26歳のころ、肝炎のために入院していたときだった。ソフトバンクの社長を一時ほかの者に譲り、入院して医師に「死ぬかもしれない」と言われた。それで若いときに読んだこの小説を読み返した。彼は言っている。
「二回目に読むと、いろいろと違うことが見えてきた。人間は必ず死ぬ。死ぬんだけどその瞬間に、ああオレは精一杯生きた、と思いながら死ねるような、おもしろおかしい生き方をしたいと思うようになりました」(山田俊浩『稀代の勝負師 孫正義の将来』東洋経済新報社)
まったく同感である。
(2013年8月11日)
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自分がはじめて孫正義の名前を知ったのは、1996年にソフトバンクが出資して、Yahoo! JAPANを設立したときだった。当時自分は事務所にようやくISDN回線をひいて、ホームページを自作しようとしていたころで、まだインターネットがどれだけ普及するのかも、検索サイトがどれだけ価値のあるものなのかもわからなかった。新宿駅の南口に「www.yahoo.co.jp」の広告看板が大きく掲げられているのを見て、自分は、孫正義という、明らかに自分より百歩も千歩も先を読んでいる人がいることを知った。
孫正義は、1957年、佐賀の鳥栖に生まれた。父親は在日韓国人の廃品回収業者だったが、
正義が生まれた後、パチンコ店経営に乗りだした。
貧しく、被差別的な環境のなかで、正義はよく勉強し、福岡の学校に通った。そのころ司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読み感銘を受けた。坂本龍馬の土佐藩脱藩にならい、米国行きを決意した。米国へ行くのに先立ち、東京の日本マクドナルドの藤田田社長に会いに行った。何度も門前払いをくった後、ようやく会えた藤田社長に、高校生の孫は、米国でなにをするべきかアドバイスを求めた。藤田はこういう意味のことを答えたという。
「日本人はまだ気づいていないが、コンピュータによってこれから世の中は大きく変わる。米国ではコンピュータを見てくるべきだ」
17歳のとき、高校を中退して渡米。米国の高校、大学を卒業した。大学在学中に、自動翻訳機のアイディアを、日本企業シャープに売り込み、代価1億円を得て、それを元手に米国で会社を興し、日本からインベーダーゲーム機を輸入し販売した。
大学卒業後、帰国。日本でも起業し、パソコン用ゲームソフトの販売、インターネット回線ADSL事業、プロ野球球団経営、携帯電話事業などと事業を展開、拡大させてきた。
孫正義はたいした男である。自分は、彼にはとてもえらいところがたくさんあると思う。
まず、苛酷な環境にもくじけず、まっすぐに自分の大志に向かって邁進したこと。一部の日本人は、在日の人々を含む、日本人以外の有色人種を意味もなく蔑視するけれど、そうした差別や意地悪に対し、孫は自分の資質を屈折させられることなく、自分を伸ばしてきた。小人や俗物の発する雑音に惑わされず、困難を乗り越え、わが道をゆく。これは、まさに英雄の生き方である。
それから、『竜馬がゆく』を読んでいるところがえらいと思う。しかも、すくなくとも二度以上通読しているという。
じつは自分は坂本龍馬とは誕生日が同じ縁で、龍馬については昔からいろいろな資料を読んでよく知っていた。もちろん司馬遼太郎の新聞小説『竜馬がゆく』も全巻そろえて本棚に置いていた。しかし、結局読まぬまま古書店に売ってしまった。そういう過去があるので、あの小説を通して読んだ人は、ただそれだけで尊敬してしまうのである。
孫が『竜馬がゆく』を二度目に読んだのは、彼が26歳のころ、肝炎のために入院していたときだった。ソフトバンクの社長を一時ほかの者に譲り、入院して医師に「死ぬかもしれない」と言われた。それで若いときに読んだこの小説を読み返した。彼は言っている。
「二回目に読むと、いろいろと違うことが見えてきた。人間は必ず死ぬ。死ぬんだけどその瞬間に、ああオレは精一杯生きた、と思いながら死ねるような、おもしろおかしい生き方をしたいと思うようになりました」(山田俊浩『稀代の勝負師 孫正義の将来』東洋経済新報社)
まったく同感である。
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