8月2日は、作家の中上健次が生まれた日(1946年)だが、弁護士、中坊公平(なかぼうこうへい)の誕生日でもある。
中坊公平が手がけた事件でとくに有名なのは、森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護と、住専処理問題だろう。自分は以前、中坊の著書『中坊公平・私の事件簿』という本を読んで、ひじょうに感銘を受けた。いまでも読むたびに涙する。
中坊公平は、1929年、京都で生まれた。父親は小学校教師をへて苦学して弁護士になった人物だった。
24歳で京都大学法学部を卒業した公平は、司法試験に合格し、弁護士となった。父親の弁護士事務所をへて、30歳の年に独立して自分の事務所を構えた。
顧問弁護士を務める企業も増えて、すっかり裕福になった43歳のとき、森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護団の団長になってくれないか、という依頼を受けた。森永の乳児用ミルクにヒ素が混入していて、それを飲んだ多くの赤ちゃんが中毒になり、からだに重篤な障害が起きた事件で、森永は自分たちに非はないと主張し、厚生省は、みんな治っていて後遺症もないと説明していた。
最初、中坊はこの依頼を断ろうと思ったという。せっかく顧問をする会社も増えて、生活が安定してきたところに、森永のような大企業を敵にまわす裁判にかかわっては、お客さんを逃すことになる。そんな左翼系の弁護士たちの仲間になるのは損だ、と。
中坊は、左翼嫌いの弁護士として通っている父親のところへ相談に行った。きっと父親も自分と同意見で、自分の判断に賛成してくれるだろう、と。すると、父親はこう言った。
「情けないことを言うな。お父ちゃんは公平をそんな人間に育てた覚えはないぞ。この事件の被害者は誰や。赤ちゃんやないか。赤ちゃんに対する犯罪に右も左もない。お前は確かに一人で飯を食えるようになった。しかし、今まで人の役に立つことを何かやったか。出来が悪かったお前みたいな者でも、人様の役に立つなら喜んでやらしてもらえ」(中坊公平『中坊公平・私の事件簿』集英社新書)
父親のことばに打たれた中坊は、弁護を引き受けた。そして、被害の事態調査からやり直し、「森永ミルク中毒の子供を守る会」と弁護団のあいだにはさまれて苦しみ、病気になり、自殺を考えた瞬間もあるという苛酷な裁判だったが、彼はこれをみごとやりぬいた。前掲の書に収録されている、この事件の裁判の冒頭陳述の原稿は、感動なしには読めない立派な名文である。
中坊はその後も、豊田商事事件などむずかしい大型訴訟を手がけた後、67歳のとき、住専(住宅金融専門会社)事件の責任者となり、無報酬でお金の回収に奔走した。
中坊は、2013年5月、心不全により京都で没した。83歳だった。
自分は、かつて知的障害者のグループホームの仕事を手伝って、そこに暮らしていた、森永ミルク事件の被害者と会ったことがある。赤ちゃんのとき被害にあい、すでに高齢の女性となっていたが、語りかけながら、障害を負った彼女にはなんの責任もないことを、あらためて思った。
「公平」というその名前がすばらしい。
中坊公平という人の、ぴんと立った背筋には、まったく頭が下がる。
社会のひずみに対して、国や役所や大企業の不正義に対して、これほど正面きって闘った人はすくないと思う。中坊公平の人生と比べると、自分の人生の意味のなんと薄いことかと反省させられる。
(2013年8月2日)
●おすすめの電子書籍!
『8月生まれについて』(ぱぴろう)
中坊公平、宮本常一、北原怜子、宮沢賢治、ブローデル、バーンスタイン、マドンナ、ヘルタ・ミュラー、シャネル、モンテッソーリ、アポリネール、ゲーテ、マイケル・ジャクソン、など8月誕生31人の人物論。8月生まれの人生とは? ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。
www.papirow.com
中坊公平が手がけた事件でとくに有名なのは、森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護と、住専処理問題だろう。自分は以前、中坊の著書『中坊公平・私の事件簿』という本を読んで、ひじょうに感銘を受けた。いまでも読むたびに涙する。
中坊公平は、1929年、京都で生まれた。父親は小学校教師をへて苦学して弁護士になった人物だった。
24歳で京都大学法学部を卒業した公平は、司法試験に合格し、弁護士となった。父親の弁護士事務所をへて、30歳の年に独立して自分の事務所を構えた。
顧問弁護士を務める企業も増えて、すっかり裕福になった43歳のとき、森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護団の団長になってくれないか、という依頼を受けた。森永の乳児用ミルクにヒ素が混入していて、それを飲んだ多くの赤ちゃんが中毒になり、からだに重篤な障害が起きた事件で、森永は自分たちに非はないと主張し、厚生省は、みんな治っていて後遺症もないと説明していた。
最初、中坊はこの依頼を断ろうと思ったという。せっかく顧問をする会社も増えて、生活が安定してきたところに、森永のような大企業を敵にまわす裁判にかかわっては、お客さんを逃すことになる。そんな左翼系の弁護士たちの仲間になるのは損だ、と。
中坊は、左翼嫌いの弁護士として通っている父親のところへ相談に行った。きっと父親も自分と同意見で、自分の判断に賛成してくれるだろう、と。すると、父親はこう言った。
「情けないことを言うな。お父ちゃんは公平をそんな人間に育てた覚えはないぞ。この事件の被害者は誰や。赤ちゃんやないか。赤ちゃんに対する犯罪に右も左もない。お前は確かに一人で飯を食えるようになった。しかし、今まで人の役に立つことを何かやったか。出来が悪かったお前みたいな者でも、人様の役に立つなら喜んでやらしてもらえ」(中坊公平『中坊公平・私の事件簿』集英社新書)
父親のことばに打たれた中坊は、弁護を引き受けた。そして、被害の事態調査からやり直し、「森永ミルク中毒の子供を守る会」と弁護団のあいだにはさまれて苦しみ、病気になり、自殺を考えた瞬間もあるという苛酷な裁判だったが、彼はこれをみごとやりぬいた。前掲の書に収録されている、この事件の裁判の冒頭陳述の原稿は、感動なしには読めない立派な名文である。
中坊はその後も、豊田商事事件などむずかしい大型訴訟を手がけた後、67歳のとき、住専(住宅金融専門会社)事件の責任者となり、無報酬でお金の回収に奔走した。
中坊は、2013年5月、心不全により京都で没した。83歳だった。
自分は、かつて知的障害者のグループホームの仕事を手伝って、そこに暮らしていた、森永ミルク事件の被害者と会ったことがある。赤ちゃんのとき被害にあい、すでに高齢の女性となっていたが、語りかけながら、障害を負った彼女にはなんの責任もないことを、あらためて思った。
「公平」というその名前がすばらしい。
中坊公平という人の、ぴんと立った背筋には、まったく頭が下がる。
社会のひずみに対して、国や役所や大企業の不正義に対して、これほど正面きって闘った人はすくないと思う。中坊公平の人生と比べると、自分の人生の意味のなんと薄いことかと反省させられる。
(2013年8月2日)
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『8月生まれについて』(ぱぴろう)
中坊公平、宮本常一、北原怜子、宮沢賢治、ブローデル、バーンスタイン、マドンナ、ヘルタ・ミュラー、シャネル、モンテッソーリ、アポリネール、ゲーテ、マイケル・ジャクソン、など8月誕生31人の人物論。8月生まれの人生とは? ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。
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