7月18日は、反アパルトヘイトの英雄、ネルソン・マンデラが生まれた日(1918年)だが、英国ヴァージン・グループの総帥、リチャード・ブランソンの誕生日でもある。
自分がリチャード・ブランソンの名前をはじめて聞いたのは学生のころで、ヴァージン・エアラインを立ち上げた青年実業家としてだった。レコード屋のおやじから身を起こして、34歳で航空会社を作ってしまうなんて、派手でいいじゃないかと思った。しかもその会社は、大好きなセックス・ピストルズのレーベル「ヴァージン」だという。最高だ。

サー・リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソンは、1950年、英国ロンドンで生まれた。祖父は裁判所の判事、父親は法廷弁護士という司法一家だった。
リチャードは、ディスレクシア(失読症)で、学業にはまったく興味を示さず、16歳で学校を中退し、商売をはじめた。
16歳のブランソンがはじめたのは、雑誌「ザ・スチューデント」を発行して、そこに広告を載せて、郵便による注文でレコードを売るという通信販売で、これが大成功した。彼は自分の会社を「ヴァージン」と命名し、ロンドンの通りにレコード店をだした。
リチャードが20歳のとき、レコード・レーベル「ヴァージン・レコード」を立ち上げ、アーティストをレコード・デビューさせた。マイク・オールドフィールド、セックス・ピストルズ、カルチャー・クラブなど、ウァージンと契約したアーティストたちは大ブレイクし、ヴァージンはまたたく間に巨大になった。
34歳のとき、ヴァージン・アトランティック航空を設立し、リースのジェット機を1機購入し、ロンドン=ニューヨーク間に就航させた。その後、機体数、路線数を増やしていき、ヨーロッパのヴァージン・エキスプレス、オーストラリアのヴァージン・ブルー、米国のヴァージン・アメリカなど、格安航空会社を各国につぎつぎに設立した。
彼の事業欲はとどまらず、航空業界のほか、携帯電話、「ヴァージン・コーラ」の飲料水、「ヴァージン・シネマズ」の映画館、「ヴァージン・ギャラクティック」の宇宙旅行事業など、さまざまな異業種へ参入した。
事業家として活躍する一方で、みずから熱気球に乗り込んで太平洋横断に挑む冒険家としても知られ、57歳の年には、「ヴァージン・アース・チャレンジ」賞を創設し、科学と技術分野の功績を顕彰するなど、いよいよグローバルに活躍の幅を広げている。

以前、ブランソンがテムズ川だったか、川に浮かべたボートを自宅として生活していて、ジーンズとポロシャツのふだん着で、船の上で打ち合わせをし、船から世界のヴァージン・グループへ指示を出していた。そんな様子をテレビのドキュメンタリー番組で見たものだった。スーツに身を固め、高層ビル街で働くエリート・サラリーマンとはちがう、マイペースの仕事スタイルがそこにあった。
リチャード・ブランソンは、成功しても世間一般のお金持ちの価値観に迎合せず、自分のライフスタイルを押し通し、マイペースでいるところがいい。

ブランソンはこんなことを言っている。
「ビジネスの世界で、ひとつだけたしかなことがある。それは、あなたを含めて、誰もがかならずミスを犯すだろうということだ」(One thing is certain in business. You and everyone around you will make mistakes. Richard Branson)
ブランソンは、やることは派手で冒険的だけれど、言うことはきわめて常識的で、ただしとても前向きだと思う。
(2013年7月18日)


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