7月17日は、『ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄が生まれた日(1903年)だが、「弁護士ペリー・メイスン」シリーズで知られる推理作家、ガードナーの誕生日でもある。
いまの若い人は知らないかもしれないが、その昔「弁護士ペリー・メイスン」という米国製のテレビ場組が日本で放送され、とても人気を博していた。自分が物心つくかつかないかのころで、そのころは、病気で困ったらベン・ケーシーに頼め、裁判沙汰ならペリー・メイスンに頼め、というのは日本の常識だった。

アール・スタンリー・ガードナーは、1889年、米国マサチューセッツ州モールデンで生まれた。父親は鉱山技師だった。
カリフォルニア州の高校を卒業したアールは、インディアナ州の大学のロースクールに入学した。が、一カ月で退学した。その後、カリフォルニアの法律事務所にタイピストとして就職し、働きながら法律を独学し、22歳のときに司法試験に合格、弁護士となった。
ガードナーは弁護士事務所で働きながら、犯罪小説、推理小説を書きだした。
ひと晩に4000語という猛烈なスピードで彼は短編を書きまくり、ざら紙に刷った安いパルプ雑誌に30以上のキャラクターを送り出し、大不況時代まっただなかの43歳のころには、全米でもっとも成功した作家のひとりとなっていた。
ガードナーはこう言っている。
「わたしはお金をのために書く。そして、読者を純粋に楽しませるために書く」
44歳のとき、ハードボイルドな弁護士「ペリー・メイスン」を主人公とした初の長編小説『ビロードの爪』を発表。この「ペリー・メイスン」シリーズの成功により、彼は弁護士の仕事をやめ、45歳のころから以後推理小説作家の仕事に専念するようになった。
ガードナーは多作の作家で、「ペリー・メイスン」シリーズだけでも80編、それ以外のミステリーが40編以上、ノンフィクションが十数編、それと短編が450編はあるという。
1970年3月、カリフォルニア州テメキュラにて没。80歳だった。彼の遺体は荼毘に付され、灰は、メキシコの バハ・カリフォルニアにまかれた。

自分がガードナーのペリー・メイスンものを読んだのは小学校6年生のときだった。内容はもうほとんど忘れてしまっているけれど、おもしろかった印象があり、なつかしい。

自分は裁判所について、社会のおしくらまんじゅうで押され押されて、崖っぷちに追いやられた哀れな人々が、生活や身分を保証された世間知らずの公務員によって淡々と処理されるところ、といった印象をもっている。
自分はある時期、ほぼ毎日法廷に通って、いろいろな事件の裁判を傍聴していたのでよく知っているけれど、日本の裁判は地味である。
米国だと、いいか悪いかはべつにして、この法廷がだいぶ劇場的要素を帯びてくる。
映画だと「十二人の怒れる男たち」「フィラデルフィア」もあったし、テレビ番組だと、「アリーmyラブ」もあった。アメリカの法廷劇がおもしろいのは、ひとつには陪審員制度があるからである。
これを最大限に活用して見せ場としたのが、ガードナーの「ペリー・メイスン」シリーズだと思う。量といい、質といい、ものすごい才能の作家だった。
(2013年7月17日)


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