7月11日は、シンガーソングライターのスザンヌ・ヴェガが生まれた日(1959年)だが、人呼んで「ジャケットの帝王」ジョルジオ・アルマーニの誕生日でもある。
自分がはじめて「アルマーニ」の名前を聞いたのは、その昔、テレビ番組で、まだ若かった村上龍が、自分の着ているジャケットを指して、こう言ったときだった。
「これ、アルマーニなんだけど」
ファッションにうとい自分は、もののよさそうな服だなぁ、と思った。

ジョルジオ・アルマーニは、1934年、イタリア北部の町、ピアチェンツァで生まれた。彼はもともと医師志望で、ミラノ大学の医学部に入った。しかし、19歳のとき、医学部の途中で軍隊に召集され、医学のキャリアは頓挫した。彼は医学生だったために、ヴェロナの診療所に配属されたが、そこで医療体験を重ねるなかで、とつぜんべつの道へ進もうと思い立った。
軍隊を退役した22歳のころ、アルマーニは、ミラノのデパートのショーウィンドウのデザインの職についた。ここでファッション業界のビジネスの見聞を広めたのをステップに、彼は20代の半ばに、ファッション・メーカーへ転職し、男性服のデザインを担当した。
その後、彼はメーカーを退社し、フリーのデザイナーとして仕事をはじめ、30代のなかばに建築デザイナーのセルジオ・ガレオッティと出会い、意気投合した。
39歳のとき、ガレオッティのすすめでミラノにデザイン事務所を開き、さまざまなデザイナー・ブランドと組んで仕事をし、経験を積んだ。そして41歳で、ついに自分のブランド「ジョルジオ・アルマーニ」のオフィスをミラノにオープンさせた。
46歳のとき、ハリウッド映画「アメリカン・ジゴロ」で、リチャード・ギアの衣装を担当し、これをきっかけにアルマーニは広く知られるようになり、53歳のときにはケビン・コスナーやショーン・コネリーが出演した映画「アンタッチャブル」の衣裳を担当した。ハリウッドの映画俳優をはじめとする多くの有名人がアルマーニを愛用する、世界でもっとも成功したファッション・デザイナーのひとりと言われている。

医者になろうとしていた医学生が、とつぜんファッション業界へ志望を変更するとは、おもしろい人生だなあ、と思う。人生、意外な道を行くと、意外な花が咲いているものなのかもしれない。

たしか、作家の村上春樹が、デビュー作『風の歌を聴け』で群像新人賞を受賞したとき、新しいジャケットを新調して、授賞式に臨んだと言っていた。また、女流作家の桐生夏生は、自作『OUT』が米国のエドガー賞にノミネートされた際、シャネルのドレスを新調して賞の発表会に臨んだと言っていたと思う。そういうのって、いいなあ、と思う。ちょっとお金をかけて、特別な機会のために服を新調する。
自分も、いつか晴れやかな式典で褒められる機会が来たら、借金してでもアルマーニのジャケットを新調してみたいものだ、と思っている。
自分の好きなアルマーニのことばに、つぎのようなものがある。

「わたしはつねにこう考えてきた。Tシャツはファッションのアルファベットのアルファであり、オメガである、と(ファッションはTシャツにはじまり、Tシャツに終わる)」

「ひときわすぐれたものを創り出すためには、わずかな細部にまできびしく注意をはらう精神を持たなくてはならない」
(2013年7月11日)



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