7月9日は、芸術家のデヴィッド・ホックニーが生まれた日(1937年)だが、ミュージシャン、細野晴臣(ほそのはるおみ)の誕生日でもある。
細野晴臣がかつて一員だったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の全盛期は、自分の学生時代で、当時は街を歩けばあちこちで「テクノポリス」が流れ、友だちはクルマで「ライディーン」を大音響でかけまくるといった調子だった。でも、自分はYMOの楽曲を聴くとなぜだか頭が痛くなるので、どうしても好きになれなかった。

細野晴臣は、1947年、東京都港区で生まれた。父親は橋梁など大規模建築をおこなう現場監督だった。晴臣は、少年時代から外国の音楽にひかれ、バンドを組みだしたロック少年であり、また漫画家志望でもあった。
大学時代にベースの演奏をはじめ、22歳のときにバンド「はっぴいえんど」に参加。メンバーは細野と、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂だった。「はっぴいえんど」は日本語のロック・ミュージックの出発点とされる伝説的なバンドとなった。
26歳のころ、「はっぴいえんど」が解散し、細野はソロ活動をはじめたが、31歳のとき、高橋幸宏、坂本龍一と組み、YMOを結成。徹底的にコンピュータによる音作りにこだわったテクノ・サウンドで、YMOは大成功した。
36歳のとき、YMOは解散(散開)し、以後、細野はポップ・ミュージック、ワールド・ミュージック、アンビエント・ミュージックの分野で活躍を続けてきた。

騒音じみたレッド・ツェッペリンやセックス・ピストルズを楽しく聴いてきた自分が、なんでYMOの音楽を聴くと頭が痛くなるのか。これは長いあいだ謎だったが、あるとき坂本龍一がテレビのトーク番組で、こういう意味の発言をしているのを聞いた。
「細野さんとぼくしかわからないことだけれど、YMOというのは、ロックに対するアンチ・テーゼで、きみたちロック・ファンがいくら肉体を鍛えてきても、ぼくたちがマシンで作った圧倒的なサウンドに勝てないだろう、と、そういう意味があった」
ああ、それで、自分の頭は受け付けなかったのかと納得した。自分は、高橋幸宏、坂本龍一、細野晴臣の音楽は好きで、よく聴くけれど、YMOはいまだにだめである。

細野晴臣こそ、じつはYMOとはもっとも縁遠い人なのかもしれない。彼はYMOをはじめるときのことを、こう回想している。
「YMOをやるときは、実は、YMOをやるか、高野山に行くかで迷っていたんだよ。(中略)ぼくのアイドルはその当時、お釈迦さまだったんだ。お釈迦さまは二十九歳のときに出家したんだよ。で、三十六歳か三十七歳のときに悟りを開いた。その頃、ちょうどぼくは同じ年頃だったから、『今だったらできるな』と思ったんだ。京都のお寺に通っていたし、お坊さんとも知り合いだったから、本気で得度しようと思ったらできたかもしれない。その思いを抱えながら、YMOを始めたの。でも、結局YMOが売れちゃったから、そっちに引っ張られるならそっちでもいいやという感じで続けたのさ。」(「頂上」『細野晴臣 分福茶釜』平凡社)

「同世代の人たちよりも若い世代の方に自分は似ていると思う。たとえばひきこもりとかニートとか。そういう問題、自分との共通点がある。今の若者の犯罪なんかを見てると人ごととは思えなかったりするから、むしろ団塊世代のほうが距離感があるんだ。」(「団塊」同前)
自分は「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」といった彼の作品や、彼の発言を聞いていると、なんだか他人のような気がしない。
(2013年7月9日)




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細野晴臣、黒沢清、谷崎潤一郎、シャガール、ジャン・コクトー、カフカ、ロックフェラー、ヘルマン・ヘッセ、バーナード・ショー、フリーダ・カーロ、プルースト、ジャクリーン・ケネディなど7月誕生の31人の人物論。ブログの元になった、より詳しく深いオリジナル原稿版。7月生まれの存在意義とは。

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