7月1日は、英国のダイアナ妃(1961年)が生まれた日だが、タレント、明石家さんま(1955年)の誕生日でもある。
自分がはじめて明石家さんまを見たのは、テレビの「ヤングおー! おー!」という番組のなかでだった。まだ20歳そこそこの明石家さんまに強い印象を受けた。
明石家さんまは、1955年、和歌山県の串本町に生まれ、奈良で育った。本名は、杉本高文。母親は彼が3歳のころに病死したという。
高文は、奈良県の商業高校の3年のときに、2代目笑福亭松之助に弟子入りした。当初の芸名は「笑福亭さんま」だった。古典落語で高座にのぼったが、周囲から、落語家よりタレントに向くとの声があがり、お笑いタレントとしてテレビに露出するようになった。
21歳のとき、さんまは、当時の桂三枝が司会をしていた「ヤングおー! おー!」に出演。番組のレギュラーとなり、25歳のときからは司会者に昇格した。
26歳のとき、テレビ番組「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演。以後、テレビのバラエティー番組、トーク場組の司会者として活躍。圧倒的な知名度と、国民的な人気を誇っている。
さんまが30歳のとき、1985年8月12日。その日、東京でおこなわれた「ひょうきん族」のテレビ収録が早く終わったために、さんまはいつも乗る飛行機よりも、一便前の早い全日空機に乗って大阪に向かった。彼がいつも使っていて、たまたまその日は乗らなかった日航機は、歌手の坂本九や、阪神タイガース球団社長、ハウス食品の社長などを乗せて飛び立ち、群馬県の御巣鷹山に墜落した。
事故の後、明石家さんまはしばらく仕事が手につかなかったというが、これなど、彼が持って生まれた運の性質というものを、考えさせられる話である。
自分は明石家さんまは、現代のお笑い芸人全盛の時代を開いた、最大の功労者だと思う。
彼が登場する以前は、漫才にしろ、コントにしろ、演技者が一所懸命考えてきたネタを、披露して、それが観客に、うけた、うけなかった、という、行き当たりばったりの世界だった。観客の側も、なんとなく笑い、なんとなく笑わない。お笑いとは、そういうものだった。
そこへ、明石家さんまが改革に乗りだした。彼はみずからお笑いの宣教師となって、お笑い未開の地である日本列島の住人たちに、お笑いというものを布教してまわった。
「おいしい」「計算」「これが、うけんねん」。そういった芸人の側の、笑わせようとする戦略や概念を、笑わせながら披露して、一般の観客たちにお笑いの技術をすこしずつ教え、広めていった。これによって、自分のような一般の観客は、芸人が笑わせようとしたボケやツッコミが、うまくいったら笑うし、また、うまくいかなかったとしても、その失敗したことがおかしくて笑う、という二段構えでお笑いを楽しめるようになった。
自分は、明石家さんまの大ファンで、彼の収録本番のときに見せる迫力、つねに休まず笑いを狙うタフネスなど、いろいろ好きだけれど、彼がときおり発する光ったことばにもしびれる。よく覚えているのに、こんなことばがあった。
彼は女優の大竹しのぶとのあいだに娘がひとりいて、この娘が、ノーガード戦法でゆく彼の唯一のウィークポイントだが、俳優の梅宮辰夫が自分の娘の男性関係で困っていたとき、さんまは梅宮にこういう意味のことばをかけた。
「梅宮さん、女の子は、父親が若いときに遊んだ天罰として生まれてくるんでっせ」
才能あるなあ、と感心する。
(2013年7月1日)
●おすすめの電子書籍!
『7月生まれについて』(ぱぴろう)
明石家さんま、黒沢清、谷崎潤一郎、バーナード・ショー、フリーダ・カーロ、プルースト、ジャクリーン・ケネディなど7月誕生の31人の人物論。ブログの元になった、より詳しく深いオリジナル原稿版。7月生まれの存在意義とは。
http://www.meikyosha.com/ad0001.htm
自分がはじめて明石家さんまを見たのは、テレビの「ヤングおー! おー!」という番組のなかでだった。まだ20歳そこそこの明石家さんまに強い印象を受けた。
明石家さんまは、1955年、和歌山県の串本町に生まれ、奈良で育った。本名は、杉本高文。母親は彼が3歳のころに病死したという。
高文は、奈良県の商業高校の3年のときに、2代目笑福亭松之助に弟子入りした。当初の芸名は「笑福亭さんま」だった。古典落語で高座にのぼったが、周囲から、落語家よりタレントに向くとの声があがり、お笑いタレントとしてテレビに露出するようになった。
21歳のとき、さんまは、当時の桂三枝が司会をしていた「ヤングおー! おー!」に出演。番組のレギュラーとなり、25歳のときからは司会者に昇格した。
26歳のとき、テレビ番組「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演。以後、テレビのバラエティー番組、トーク場組の司会者として活躍。圧倒的な知名度と、国民的な人気を誇っている。
さんまが30歳のとき、1985年8月12日。その日、東京でおこなわれた「ひょうきん族」のテレビ収録が早く終わったために、さんまはいつも乗る飛行機よりも、一便前の早い全日空機に乗って大阪に向かった。彼がいつも使っていて、たまたまその日は乗らなかった日航機は、歌手の坂本九や、阪神タイガース球団社長、ハウス食品の社長などを乗せて飛び立ち、群馬県の御巣鷹山に墜落した。
事故の後、明石家さんまはしばらく仕事が手につかなかったというが、これなど、彼が持って生まれた運の性質というものを、考えさせられる話である。
自分は明石家さんまは、現代のお笑い芸人全盛の時代を開いた、最大の功労者だと思う。
彼が登場する以前は、漫才にしろ、コントにしろ、演技者が一所懸命考えてきたネタを、披露して、それが観客に、うけた、うけなかった、という、行き当たりばったりの世界だった。観客の側も、なんとなく笑い、なんとなく笑わない。お笑いとは、そういうものだった。
そこへ、明石家さんまが改革に乗りだした。彼はみずからお笑いの宣教師となって、お笑い未開の地である日本列島の住人たちに、お笑いというものを布教してまわった。
「おいしい」「計算」「これが、うけんねん」。そういった芸人の側の、笑わせようとする戦略や概念を、笑わせながら披露して、一般の観客たちにお笑いの技術をすこしずつ教え、広めていった。これによって、自分のような一般の観客は、芸人が笑わせようとしたボケやツッコミが、うまくいったら笑うし、また、うまくいかなかったとしても、その失敗したことがおかしくて笑う、という二段構えでお笑いを楽しめるようになった。
自分は、明石家さんまの大ファンで、彼の収録本番のときに見せる迫力、つねに休まず笑いを狙うタフネスなど、いろいろ好きだけれど、彼がときおり発する光ったことばにもしびれる。よく覚えているのに、こんなことばがあった。
彼は女優の大竹しのぶとのあいだに娘がひとりいて、この娘が、ノーガード戦法でゆく彼の唯一のウィークポイントだが、俳優の梅宮辰夫が自分の娘の男性関係で困っていたとき、さんまは梅宮にこういう意味のことばをかけた。
「梅宮さん、女の子は、父親が若いときに遊んだ天罰として生まれてくるんでっせ」
才能あるなあ、と感心する。
(2013年7月1日)
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明石家さんま、黒沢清、谷崎潤一郎、バーナード・ショー、フリーダ・カーロ、プルースト、ジャクリーン・ケネディなど7月誕生の31人の人物論。ブログの元になった、より詳しく深いオリジナル原稿版。7月生まれの存在意義とは。
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